グラン・トリノ

「遠い親戚より近くの他人」の象徴を見せられる

2008年製作  アメリカ  117分

監督

クリント・イーストウッド

キャスト

クリント・イーストウッド  ビー・ヴァン  アーニー・ハー  クリストファー・カーリー  ジョン・キャロル・リンチ  スコット・イーストウッド ドリーマ・ウォーカー

撮影ロケーション・情景

デトロイト グラントリノ アメリカの郊外 フォードF250 アメリカの葬儀

グラン・トリノのあらすじ

頑固で頭の固いウォルト・コワルスキー (クリント・イーストウッド)は長年勤めたフォードの工場を引退し妻ドロシーとデトロイトに暮らしていたが不幸にも妻が他界。場面は亡き妻ドロシーの葬儀のシーンから始まる。

葬儀には長男次男夫婦、またそれぞれの子供たちが参列しドロシーを弔う。しかし参列した孫たちは“ヘソ出し”の格好で現れたり、礼拝する際下ネタの呪文を唱えたり、ミサの最中携帯をいじったりと無礼千万を極めていた。ウォルトはそんな礼儀知らずの孫たちを嘆かわしいとばかりに睨み付けた。葬儀中不機嫌な顔を露骨に見せるウォルトに気付いた長男と次男であったが二人はそんな堅物のウォルトを日頃から毛嫌いしており、葬儀の最中にもかかわらず父ウォルトのこの先の面倒を互いに押し付け合っていた。

葬儀も無事終わり親戚たちが一同揃って会食をしている中、孫たちがウォルト邸の地下室で界隈を物色していると大きな箱の中から1952年当時のウォルトの朝鮮戦争時代の写真と勲章を見つけた。するとそこにウォルトが椅子を取りにやってきた。孫たちはあわてて箱のふたを閉めたたが孫たちが何かを物色している様子を感じたウォルトは言葉も掛けず不機嫌そうな顔をし椅子を抱え地下室から出て行った。また一方では“ヘソ出し”の孫娘カレンがガレージで煙草を吸っていると半分シートをかぶったビンテージカーに気付いた。ウォルトの愛車1972年製のグラン・トリノである。そこにウォルト現れた。カレンはとっさに煙草を投げ捨て「おじいちゃんこんな凄い車いつ買ったの?」と媚を売るも「1972年だ」とそっけない返事をしカレンが捨てた煙草を足で踏み消した。このようにウォルトは孫たちに対し慈しみをもって接しようとはしなかった。

ある日、隣りに住むモン族のタオ(ビー・ヴァン)がウォルトにジャンプケーブルを借りに行くと「そんなもの持ってない!礼儀をわきまえろ。うちは喪中だ」と一蹴し取り合おうとしなかった。このようにウォルトは身内のみならず、近隣にとっても、近寄り難い存在であった。ウォルトがこんな意固地な性分になってしまったのは朝鮮戦争で17歳の少年を銃剣で殺してしまった自責の念に呵責まれていたからである。

ある日タオが自宅で庭の手入れをしているとモン族のギャングたちが現れ仲間になれと強要しタオを誘い入れウォルトの愛車であるグラン・トリノを盗めとタオをけしかける。逆らうことが出来ないタオは言われるままガレージに忍び込んだ。物音に気付き誰かが車を盗みに来たと察したウォルトは銃を片手にガレージへ向かい銃を構えるがウォルトが足元につまずき倒れ込んだため、タオは間一髪のところで逃れた。辺りが暗かったため盗人がタオであることはウォルトは気付いていなかった。

車を盗み損ねたタオだったがそれから彼のもとへ更に悪事に手を染めさせようとモン族のギャングたちは頻繁に姿を現すようになる。ある晩無理やりタオを連れ出そうとモン族のギャングたちと庭でもみ合っていると自分の庭にまで入り込んで騒ぎを起こしているギャングたちに我慢しきれなくなったウォルトが銃をかまえ家から出てきた。ギャングたちに少しも怯む様子をみせず「俺の芝生から出て行け」と銃を構え威嚇した。ウォルトの威勢に観念したギャングたちは「覚えとけよ。この借りは返すからな」といって引き退がった。タオの姉スー(アーニー・ハー)がウォルトに「タオを助けてくれてありがとう」と礼をいったがウォルトはまたもや「俺の芝生から出て行け」と言い放ち家の中に戻った。相変わらずの意固地ぶりである。

翌日ウォルトが家にいると玄関先で何やら物音がした。ドアを開けると食べ物などが玄関先に届けられていた。タオの家族や親族たちがタオを助けたウォルトを英雄視し、お礼として頻繁に貢物を届けるようになっていたのだ。そんな一家にウォルトは「助けたつもりはない。ただ自分の庭からゴロツキどもを追い出しただけだ」とつれない態度で一家をあしらおうとした。するとタオが「車を盗もうとしたのは自分だ」とウォルトに打ち明けた。怒りを隠しきれないウォルトは「もう一度偲びこんだら命はないぞ」と警告した。

それから数日後、タオの姉スーがボーイフレンドのトレイ(スコット・イーストウッド)と街を歩いていると3人の黒人の不良たちが絡んできた。トレイはスーを辱めようとからかう不良たちからスーを助け守ろうともしない臆病者だった。そこに偶然ウォルトが車で通りかかる。ウォルトはスーを助け不良たちを蹴散らした。ウォルトは悪さをする不良たちは元より、スーを助けようとしなかった臆病者のトレイに腹が立った。スーを車に乗せたウォルトは「あんなヘナちょこのボーイフレンドはやめとけ」と苦言した。

ある日ウォルトが自宅のポーチでくつろいでいると向かいの家の主婦が車から大量の荷物に手をやき困っている光景を目にした。そこに3人の若者が通りかかるが誰一人手を貸す者がいない様子にウォルトは失望する。しかしそこに一人の青年が現れた。タオである。タオは「大丈夫ですか。手伝いますよ」といって散らばった荷物を拾い荷物を運んでやった。それを見ていたウォルトは感心した。

数日後、ウォルトが自宅のポーチで缶ビールを飲んでいるとそこにスーが現れた。一人淋しく飲んでいるウォルトに「家でバーベキューをやるから来ない」と誘った。ウォルトは「ここで飲んでいる方がいい」と断ったが丁度クーラーボックスのビールが底をついたためスーの好意を受けた。招かれたウォルトはモン族の習慣や文化の違いに少し戸惑ったがすぐに彼らと打ち解けることが出来た。おしゃべりに花を咲かせているとスーは地下室にウォルトを誘った。そこにでは若者たちだけのパーティーが行われていた。当然そこにはタオもいた。スーがウォルトに「私の弟よ」とタオを指さすとウォルトは「グラントリノを盗み損ねた“トロ助”だ」と侮った。内気なタオは仲間たちに馴染め切れておらず一人ぽつんと孤立していた。ウォルトはタオに車を盗み損ねた間抜けさを引合いにだし、女友達とも口をきけないほどの不甲斐なさを叱咤した。以来、ウォルトはタオを“トロ助”と呼ぶようになる。

ある日タオとスーたちがウォルトの帰りを玄関先で待っていた。ウォルトが「どうした?」と事情を聴くとスーが「タオに車を盗もうとした償いをさせて欲しい」と申し入れた。一旦は申し入れを断ったウォルトであったが強引な申し出にさすがのウォルトも押し通されてしまった。翌日からタオはウォルトの家で奉公をする事になるがこの日を機にウォルトはタオを一人前の男に仕込んでいく。

グラン・トリノのレビュー・感想

老いても凛々しいクリント・イーストウッド

マディソン郡の橋”あたりから少しずつ老け込みをみせ始めたクリント・イーストウッドですが、特にこのグラントリノあたりからはかつての若かりし頃のイーストウッドのイメージとはまるで別人のようです。

でも生まれながらの上背で背筋をピント伸ばした雄々しい姿はやはりシャレているし、もし自分がその歳になったらあんな風に振る舞えるかといえばかなり疑問。イーストウッドはこのグラントリノから10年後に撮影された「運び屋」でも更に老いた主人公を演じていますが、同じ“老人役”でもグラントリノと運び屋では全くタイプが違い、グラントリノでは内向的で頑固な役柄、運び屋では外交的でコミニュケーションに長けた犯罪者役。

僕としてはやはりイーストウッドといえば口数が少なく、少し内向的なほうがイーストウッドらしくて個人的には好きですね。この映画の主役はもちろんクリント・イーストウッドなんですが、他のキャストはほとんど無名の役者さん。そんな状況でもこんなに感慨深い映画になっちゃうっていうところがクリント・イーストウッドの凄さというか、ど偉いオーラを感じます。

遠い親戚より近くの他人

グラン・トリノの感想ですが朝鮮戦争のトラウマから意固地な性分が形成された人物という設定になっていますが、それだけでなくウォルトの生まれ持った性格が多分に影響しているのだと思います。ウォルトと息子たちとの年齢的な環境が丁度僕の境遇にマッチしていて色々と考えさせられる場面も多かったんですが、少なくとも互いに理解し合おうとする努力が欲しかったですね。

ウォルトがタオを一人前の男にしようと奉公させていくうちにタオを認め始めたのはタオの実直さもあるのでしょうが自分の子供たちとの距離というか心の隙間をタオという青年を重ね合わせることで充たしたかったのではないかと思います。

よく「遠い親戚より近くの他人」って言いますが、本来このウォルトという老いた者の心に、子供や孫たちが寄り添うべきだったのでしょうけれど、結果的にこのタオという青年がウォルトに手を差し伸べ救い手となったわけです。

ウォルトの身体を病が蝕み始め吐血した時に、ウォルトがほんの少し憶病になり子供たちに電話を入れるシーンがありましたが、これこそが親子の自然な姿のはず。しかし結局親身に理解しようとしたのはタオという他人だったというところが少し悲しいです。

ウォルトが死に、愛車グラン・トリノを誰に相続するかという遺言書が読み上げられる場面で「愛車グラン・トリノをタオに譲る」と聞かされた時の孫娘カレンのがっかりした顔がとても印象的です。まさに「遠い親戚より近くの他人」の象徴を見せられた感じです。

「獅子はわが子を千尋の谷に落とす」

黒人に絡まれ怖気付く意気地のないトレイ役を演じたのがクリント・イーストウッドの息子スコット・イーストウッド。  後にも先にも彼が出てくるのはこの絡まれるシーンのみ。

「父クリントよ、もう少しましな役で出演させてやっもいいんじゃないの?」って思ったりもするけれど、でも逆にそれがクリントの愛情というか、息子だからといって決して甘やかさない、まさに「獅子はわが子を千尋の谷に落とす」っていう事なんでしょう。

キャスト・アウェイ

トム・ハンクスの役作りの凄さと観る者を飽きさせないストーリー展開

2000年製作  アメリカ  144分

監督

ロバート・ゼメキス

キャスト

トム・ハンクス  ヘレン・ハント  ニック・サーシー

撮影ロケーション・情景

航空貨物 テネシー州メンフィス アメリカの片田舎 メンフィス国際空港 航空機事故 モスクワ 南太平洋クック諸島  過去恋愛の回想

キャスト・アウェイのあらすじ

チャック・ノーランド(トム・ハンクス)はテネシー州メンフィスを拠点とする物流サービス企業フェデックスで物流システムエンジニアとして世界を飛び回っていた。チャックにはケリー(ヘレン・ハント)という恋人がいて、いずれプロポーズをする事も考えていた。

あるクリスマスの夜、ケリーを招き親族一同で食事をしていると、チャックのポケベルが鳴り急遽マレーシアへの出張命令が下された。このため二人はクリスマスプレゼントを渡すタイミングを失い、チャックを空港まで送って行く車中で互いにプレゼントを渡し合った。ケリーからのプレゼントは祖父の形見である懐中時計で、そこにはケリーの写真が焼き付けられていた。一方チャックからは日記帳とポケベル、それにハンドタオルが贈られたが、ハンドタオルはおふざけで、彼はそっとポケットから本命であるプロポーズ用の指輪を出しケリーに渡した。本当は年末の大晦日に渡そうと準備していたものだったが、なぜかこの場で渡すことになり、チャックはマレーシアへと旅発った。

しかし、不運にもチャックを乗せたフェデックスの貨物便は、悪天候により航路をだいぶ逸れ、コントロールを失った挙句、南太平洋に墜落してしまう。膨大な量の海水が機体に浸水し、沈みゆく機体から海へと投げ出されたチャックは必死に緊急用救命ボートにしがみ付き困難に立ち向かうが、そのまま意識を失ってしまう。一夜が明け、意識を取り戻すとチャックはある島に漂流していた。墜落した衝撃で機体から放り出された多くの宅配物が海に散らばり、哀しげに砂浜に打ち寄せられる。起きた現実をまだ理解できないチャックは、朦朧としながらも生業とする大切な荷物を必死に拾いながら大声で叫び救助を求めるが、そこは人ひとりいない、淋しい無人島であった。その日から4年に及ぶ、チャックの孤独で過酷なサバイバルが始まる事になる。

チャックは直に喉の渇き、空腹に苦しめられるようになり、拾い集めたフェデックスの荷物を手当たり次第に開け、飢えに備えるための道具に使えるよう知恵を絞った。スケート靴の刃の部分を使いヤシの実を割ったり、布きれを足に撒いて靴の代用をしたりチャックは必死に現実と向き合った。次第に魚を獲る技術も覚え飢えには何とか対処できるようになったがチャックを最も苦しめたのは猛烈な孤独感であった。

チャックはある日火を起こそうとして手に傷を負ってしまう。手からは血が流れ、怒ったチャックは傍においていた荷物のひとつであるウイルソン製のバレーボールにあたり放り投げてしまう。ところが、その真っ白なバレーボールには怪我をしたチャックの血痕で手形がつき、不思議とボールは人の顔のような様相になった。チャックはその手形に目を入れ、鼻を書き、口を書くなどして人の顔に見立て、ウイルソンという名前まで付けた。チャックは日々ウイルソンに話しかけるようになり、以来そのボールがチャックの唯一の心の拠り所になっていった。

キャスト・アウェイのレビュー・感想

ストーリーの半分以上をトム・ハンクス一人で演じているのに観ている者を飽きさせない

このキャスト・アウェイという映画ですが、シチュエーションの柱となっているのが実在するフェデックスという企業である事や、ストーリーがそれほど複雑ではないのに映画化された事、そしてその単純なストーリーにもかかわらず情景が凄くリアルに描かれているという点から、一瞬、実話?と思わせるような作品です。でも調べてみるとこの作品、全てフィクションという事らしいです。

この映画の上映時間は2時間24分なんですが、そのうちの約1時間15分はトム・ハンクス一人で演じています。それでも全く観ている者を飽きさせないストーリー展開というか情景を一こま一こま上手に描いるところが見事です。

そして何よりトム・ハンクスの役作りが凄い。漂流する前は少しブヨブヨとした体系をしていたチャックですが、サバイバルをしていくうちに段々と痩せ細っていく姿は実にリアルです。事実、この役を演じ切るために22.7kg減量したそうなので役者魂とはいえ凄いですね。

宗教が存在する理由が何となく理解できる

僕はこの映画の中で特に印象に残っているのがウイルソン製のバレーボールに人の顔を書いて、それにウイルソンという名前を付けボールを崇めるシーンです。ところがある日暴風雨に襲われウィルソンは海に落ち消えて行ってしまうのですが、チャックが必死にウイルソンを助けようとするんですね。これは大切なわが子を救おうとする場合の親心と一緒です。唯一の心の拠り所となっていたウイルソンは単なるボールではなくチャックの友達になっていたのでしょう。

形がどうあれ自分の心の支えとなるものがあり、それに縋ろうとする人の心。何となく宗教というものがこの世に存在する理由が理解できるような気がします。

時間の残酷さ

それと時間というものの残酷さを感じます。漂流する前まではチャックはケリーと結婚するはずだった。ケリーもチャックはきっとどこかで生きていると思っていたはず。しかし4年という時間はあまりにも長く、頑なに決めていた人の心をも変えてしまうんですね。ケリーは別の男性と結婚し子供にも恵まれ仲睦ましく暮らしていた。

チャックの存在はもう単なる過去の出来事のひとつに過ぎないのかもしれません。しかしチャックが生きていたことを知り、全て過去へと追いやっていたはずの時間が巻き戻され、ケリーは卒倒してしまいます。そして4年ぶりにチャックはケリーと再会しますが、長い歳月があの時とは全く違う現実を作ってしまいました。チャックはケリーに貰った懐中時計を返そうとしますが、ケリーは「あなたにあげたのだから持ってて」とチャックに言います。

今でもチャックを愛していたケリーは二人の人生が全く変わってしまた今、その言葉しか見つからなかったのでしょう。しかしチャックは「家族の宝は家族が持っているべきだよ」と断わりケリーの元を離れていきます。

土砂降りの雨の中、ケリーはチャックの後を追い、二人は互いに抱き合い愛が変わっていない事を確認するのですが、このまま二人で一緒に逃げる事もできたでしょう。しかしチャックはケリーに家庭を壊して欲しくないという想いからケリーを諦め別れを告げるんです。本当の愛ってこういうものなのかもしれません。時間の残酷さをつくづく感じます。

レスラー

一見スポ根ぽいけれど、実は疎遠になっていた父と娘の心の隙間を描いた物語

2008年製作  アメリカ  115分

監督

ダーレン・アロノフスキー

キャスト

ミッキー・ローク   マリサ・トメイ    エヴァン・レイチェル・ウッド

撮影ロケーション・情景

アメリカンプロレス トレーラーハウス ストリップクラブ ニュージャージー州オーシャンシティ アメリカのスーパーマーケット ダッジラムバン

レスラーのあらすじ

80年代全米中を轟かせていた伝説のプロレスラー ランディ・“ザ・ラム”(ミッキーローク)は年月の経過とともに体力も衰えはじめ、今ではスーパーでの仕事を掛け持ちしながら辛うじてレスラー生活を続け生計を立てていた。彼には結婚歴があり一人娘ステファニー(エヴァン・レイチェル・ウッド)もいたがプロレスで全米を飛び回り家庭を顧みない行動が災いして彼女が幼い頃家庭は破綻した。

そんな孤独でいじましい生活を送るランディの唯一の楽しみはストリップクラブで働くダンサーのキャシディ(マリサ・トメイ)に会いに行く事だった。ランディは毎日のようにプロレス巡業から帰るとキャシディに会うため店を訪れていた。

そんなランディがある日巡業先の試合中心臓発作を起こし倒れてしまう。原因はランディが過去、長期にわたり使用していたステロイド剤だった。手術を担当した主治医からは「もうプロレスは無理、すぐに止めるべき」と勧告されてしまう。ランディはそのことを真っ先にキャシディに伝えに行くが、キャシディは「疎遠になっている一人娘ステファニーに会ってそのことを伝えるべき」と窘めた。

ステファニーに会う事を決めたランディは日頃から肌身離さず持ち歩いる幼少のころのステファニーの写真の裏に書いてある連絡先を元に電話をかけるが一向に繋がらず、ついにランディはアポなしで彼女の家を訪れた。

ようやくステファニーに会う事ができたランディであったが、案の定彼女は冷ややかで今まで家族を大切にしなかった父ランディをすぐには許すことは出来なかったが、ランディは父親らしさを取り戻すためにステファニーにプレゼントを贈るなどして、徐々に二人の関係に修復が見え始めた。ランディは昔親子で訪れた思い出の場所へステファニーと共にでかけ楽しい時間を過ごすが、自責の念にかられていたランディは自分の犯した過去の過ちをステファニーに詫び涙を流す。

レスラーのレビュー・感想

はじめは何となくプロレスラーのスポ根もの?って思って正直あまり期待していなかったんですが、観ると全く違っていて、自分の人生、生き方、家族とのつながりを描く物語で、すごくいい映画を観たなぁって思いました。僕は普段、アカデミー賞何たらというものは全く気に留めず映画を観るんですが、後々調べてみると、この作品、ヴェネツィア映画祭金獅子賞、ゴールデングローブ主演男優賞を獲っていて「なるほど、いい映画なわけだ」って思いましたね。

ランディ扮するミッキーロークですがナインハーフの頃の超イケメンだった面影は全くありません。顔を整形して失敗したという話ですが、初めは観ていてとても痛々しい感じでした。でも一回りも二回りも体は肥大化していますが、元ボクサーという事もあり、この年齢でこの身体、よく鍛え上げられているなあと感心します。

疎遠になっていた父と娘。長い間寂しい思いをしたステファニーの心の隙間はすぐには埋められないのでしょうが、思い出の場所でダンスを踊る父と娘、父が娘の肩を抱きかかえながら仲良く散歩するシーンはとても幸せな気持ちになるし、この時間がずっと流れていてほしい、二人を引き裂かないでほしいと観ていて願わずにはいられません。

もしも、娘さんと何らかの理由で疎遠になってしまっていて、気持ちにわだかまりがあるお父さんがいたとするなら、ぜひこの映画を観てください。僕はその点ではこの映画に救われました。

そして、何といってもランディの生き方がカッコいい。歳を老いても身体を張って頑張るオヤジって、観ていて勇気もらえます。

アバウト・シュミット

老紳士の疎外感を巧みな脚本が見事に表現

2002年製作  アメリカ  125分

監督

アレクサンダー・ペイン

キャスト

ジャック・ニコルソン キャシー・ベイツ ホープ・デイヴィス ダーモット・マローニー ジューン・スキッブ レン・キャリオー

撮影ロケーション・情景

アメリカネブラスカ州オマハ  定年退職 キャンピングカー アメリカの葬儀 エプリー・エアフィールド(オマハの空港) ミッドウェスト航空 キャデラックコンコース ネブラスカ州グランドアイランド郊外 ネブラスカ州ホールドレッジ ネブラスカ州カーニー コロラド州デンバー アメリカの結婚式

アバウト・シュミットのあらすじ

ネブラスカ州オマハに住むウォーレン・シュミット(ジャック・ニコルソン)は永年ウッドメンという保険会社で保険数理士として働いていたが、いよいよ引退の日を迎える事に。

これからは妻ヘレン(ジューン・スキッブ)と余生を楽しみ全米中を妻と一緒に旅しようと大きなキャンピングカーを購入した。シュミット夫妻にはジーニーという一人娘がいるが彼女は結婚式準備のため嫁ぎ先であるデンバーに滞在していた。そんな楽しい余生が待っているはずだったが、実際に引退してみると毎朝決まって7:00には目を覚ましてしまい、心にポッカリ穴があいたような 満たされない生活であった。

ある日ウォーレンが自宅でテレビを見ていると飢餓に苦しむ世界中の子供たちへの支援団体「チャイルドリーチ」からの義援金を募るコマーシャルが目に留まった。それがきっかけでウォーレンは6歳のンドゥグという少年の養父になる事を決心する。そして金銭的援助に留まらず、ンドゥグへ手紙を書き自身の生活ぶりや家族について綴ったりしていた。

数日後、郵便局に出かけたウォーレンが用事を済ませ自宅に戻ってみると、妻ヘレンが心臓発作で倒れており帰らぬ人となってしまった。今まで生活の全てをヘレンに任せていたウォーレンは、以来、掃除も片付けもできず、足のふみ場もない程だらしない生活を送るようになってしまった。

独りぼっちになり益々満たされない生活を送っていたウォーレンは、ある深夜、突然目を覚まし「俺はオマハデ何をしてるんだ。家族は一緒にいるべきだ」という想いに駆り立てられ一人キャンピングカーに乗り娘の住むデンバーを目指す決心をする。

アバウト・シュミットのレビュー・感想

些細なところにアメリカと日本の差を感じる

「保険数理人」という職業がある事を僕は知りませんでしたが、一般的にはアクチュアリーと呼ばれているらしく、生命保険や損害保険などの金融商品を設計する仕事らしいですね。

そういったいわゆるエリート畑で仕事をしてきたからなのでしょうが、ウォーレンは在職中リンカーンをマイカーとして所有し、定年退職後も豪華なキャンピングカーを購入するなど、私たち日本人が定年退職して余生を送るイメージと比べると、やはりアメリカはスケールが違うなあという感じです。

もちろん日本だって戦後、高度経済成長を遂げ経済大国となったわけですし、それらの比較が全てではありませんが、そんな些細な部分でも冷静に見ると、子供の頃、アメリカのホームドラマをみて「こんな豪勢な生活してるの?!アメリカってすげ~え!」と感じたあの気持ちが蘇りますね。

さて映画の中身ですが、退職後すぐウォーレンは自分のいなくなった職場が気になり、ウッドメンに立ち寄るシーンがあります。“自分がいなくなって会社は回るのか?”という一種の思い上がりですね。(笑)

20年以上勤めた会社を辞めた経験が僕にもあるのでその気持ちよく解ります。でも現実は、自分一人くらい会社を抜けても立派に回るものなんですよね。ほとんどの場合。(笑)「あなたがいなくてもちゃんと会社は機能していますよ」という事をウォーレンを傷つけないように窘める後任者の振る舞いが上手に描かれています。

ロードムービーならではのアメリカのローカルな風景が楽しめる

また、デンバーにいる一人娘ジーニーへ会いに行くまでの道中が結構描かれていますのでロードムービーならではのアメリカのローカルな風景が楽しめます。それと脚本がいいと映画ってやっぱり光りますね。ンドゥグへの手紙に綴られる言葉、妻や娘と交わす言葉、そしてこの映画の本質ともいえる老紳士の疎外感を巧みな脚本が言い表しています。

見逃さないで欲しい特典映像

そして絶対に見逃さないで欲しいのが特典映像ですね。コンテンツがすごく面白いです。

監督が編集担当者のスキルアップのために、本編とは違う別の風景をセカンドカメラマンに撮らせ、それを使い仮想のオープニングとして作らせた映像です。

ウッドメンビルと、うら寂しいオマハの風景を使い、複数の編集担当と音楽担当がタッグを組み仮想のオープニングを5パターン製作したわけですが、情景はほとんど同じなのに使用する音楽と編集方法の違いによって映画の趣きが全く変わってしまうのが面白いというか不思議です。映画ってこんな風に作られていくのかと感心させられますよ。

HACHI 約束の犬

心優しい主人の帰りをひたすら待つハチのいじらしさに只々涙!

2009年 製作 アメリカ  93分

監督

ラッセ・ハルストレム

キャスト

リチャード・ギア ジョーン・アレン サラ・ローマー ケイリー=ヒロユキ・タガワ ジェイソン・アレクサンダー

撮影ロケーション・情景

栃木県足利市の寺(設定は山梨)アメリカ東部郊外 ベッドリッジ駅(架空の駅)

HACHI 約束の犬のあらすじ

日本の映画『ハチ公物語』を現代のアメリカ合衆国東海岸の街に舞台を移して作られたリメイク版。

終末の夜、出張帰りに自宅近くのベッドリッジ駅を降りた大学教授のパーカー(リチャード・ギア)は駅ホーム内で迷う一匹の仔犬(秋田犬)と出遭った。気の優しいパーカーは「どうした?迷ったのか?」と優しく声をかけ仔犬を抱きかかえると、仕事の疲れも見せず飼い主を捜した。しかし辺りを探すも飼い主は現れず、仕方なくパーカーは駅員に「飼い主が現れるまで駅で預かってもらえないかと」頼むが、駅員は「一晩預かって飼い主が現れなければ保健所に引き渡す」と受け答えた。それではあまりにも不憫だと思ったパーカーは仔犬を自宅へ連れて帰る事に。

ところが、パーカーの妻ケイト(ジョーン・アレン)は過去に愛犬を亡くした悲しみのトラウマで「二度と犬は飼わない」とパーカーと約束していた。呵責を感じながら仔犬を抱きかかえケイトに見つからないようそっと家に入るが、やんちゃな仔犬の立ち振る舞いにあっさりとケイトに気付かれてしまう。「飼うつもりね?二度と飼わないって約束したでしょ?」と迫るケイトに「飼い主が見つかるまでだよ。明日朝起きたら飼い主を探すから」とその場を言い逃れ仔犬を外の納屋に寝かしつけた。

翌朝パーカーは仔犬の写真を載せたチラシをケイトに作ってもらい仔犬の里親探しをするが中々見つからず、保健所にも立ち寄って預かってもらおうともするが、保健所の対応は冷たいものだった。それでもパーカーは近所の書店やベッドリッジ駅内にチラシだけでも貼らせてもらえるよう申し入れ、また自身の勤務する大学の授業にも仔犬を連れて行き里親探しを続けた。ある日パーカーは友人である日系アメリカ人のケン(ケイリー=ヒロユキ・タガワ)を訪ね仔犬を見せる。日系人であるケンはこの仔犬が日本犬の秋田犬である事や秋田犬の由来や歴史などにも触れパーカーに情報を授けた。そしてケンは仔犬の首輪についていた漢字の「八」という文字を見つけ日本語で「HACHI(ハチ)」と発音する事をパーカーに教えた。「八」という文字を気に入ったパーカーは仔犬に「ハチ」と名付けた。

相変わらず里親探しを続けるパーカーであったが仔犬に名前を付けたり一緒に寝たり、芸を仕込む様子に妻ケイトは呆れ顔をするが尋常ではないパーカーの溺愛ぶりに根負けしハチを飼う事を容認する。

パーカー家の一員となり時が経つとハチはパーカーの胸元あたりまで足が届くほど大きく成長していた。ある朝パーカーがベッドリッジ駅から職場に向かおうと列車に乗りふと窓外を見ると寂しそうにパーカーの姿を探すハチの姿があった。パーカーはハチに「なぜここにいるんだ。家に帰りなさい」と教えるがハチはパーカーの傍から離れようとしなかった。以来、毎朝パーカーは出勤する時に駅までハチを連れて行き、パーカーがベッドリッジ駅に戻る夕方5時にハチが改札出口で待っているという光景が何年も続いた。ハチはパーカーとの約束を守るかのように雨の日も風の日もパーカーの帰りを待ち続けその光景は近所でも誰もが知る見慣れた風景となっていった。

HACHI 約束の犬のレビュー・感想

愛犬者は幻影を追う

実は僕も犬を飼っているのですが、何を隠そう、この映画がきっかけで犬を飼う事を決心しました。それくらいこの映画に登場するハチ(秋田犬)は愛々しいです。不思議なのですがこの映画を観ているとハチと僕の飼っている犬とをどうしても重なり合わせ見てしまうんですね。そう、オーバーラップというやつです。

しかし、ハチは口元がスッと長い秋田犬。僕の飼っている犬はハチとは似ても似つかぬペシャンコ顔でブサカワ系のシーズー。顔も体格も全く違うのにどうしても重ね合わせて観てしまう。これは犬の姿を見る見方が、単に顔や姿というより、人格(犬格?)としての幻影を追っているからなのでしょう。

またこのハチが、なぜ日本からアメリカに渡ってきたのかという理由がストーリーの中になく、はじめは「不親切だなあ」なんて思ったりもしたのですが、そこはこの映画の脚本家さんの才腕なのでしょう。かえってそれがハチの薄淋しさを醸し出し、可愛いさを助長させています。

パーカーの優しさとパーカーの帰りをひたすら待つハチのいじらしさ

このパーカーという人の優しさはハチと出遭った冒頭の場面での「どうした?迷ったのか?」という言葉に溢れています。まあ、根っからの優しい人がこういう可愛いい仔犬を拾えば当然こうなるんでしょうが、見知らぬ駅で迷い犬となってしまった不憫なハチがパーカーみたいな優しい人に出会えたことに本当に嬉しく思えてきます。

犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ」という諺もありますが、たくましく成長する事で立派にハチは恩を返していますね。終盤、大好きなパーカーを雨の日も雪の日も実直に待ち続けるハチの姿を見つけたケイトが「私も一緒に待たせて!」とハチに言葉をかけるシーンにはただただ涙です。

パーフェクト ワールド

何気ない普段の生活や家族との触れ合いにもっと感謝をするべきと感じさせる映画

1993年製作 アメリカ 138分

監督

クリント・イーストウッド

キャスト

ケヴィン・コスナー クリント・イーストウッド T・J・ローサー ローラ・ダーン

撮影ロケーション・情景

60年代アメリカテキサス州テクサーカナ

パーフェクト ワールドのあらすじ

1960年代初期のアメリカテキサス州が舞台。車泥棒の罪で服役していたブッチ(ケヴィン・コスナー)は同刑務所に収監されていたテリーと一緒に脱獄を図り、途中押し入った民家のひとり息子フィリップ(T・J・ローサー)を人質にとり逃亡する。しかしブッチとテリーは性が合わず、ブッチは途中、フィリップに危害を与えようとしたテリーを銃殺してしまう。

自分を助け正義感溢れるブッチに対し、母子家庭で育ち、父親の存在を知らないフィリップは犯罪者であるブッチにどこか父親像を重ね合わせる事でブッチに親しみを感じ逃亡の手助けをする。

一方ブッチもフィリップと関わりを持つことで父親がいなかった自身の寂しさをフィリップの境遇と重ね合わせ心を開いていく。

そんなブッチは過去に一度だけ父親から絵葉書をもらった事がある。ブッチはそれを今でも大切に持っている。そこに書かれていたのはアラスカから届いた父からのメッセージだった。そしてブッチはフィリップを連れてアラスカを目指す事を決意する。

パーフェクト ワールドのレビュー・感想

父親を知らないフィリップに父親の代り役をしようとするブッチの優しさ

フィリップを人質にとり逃亡を図るブッチですが、自身の子供の頃の父への寂しさがフィリップの父親の存在を知らない境遇と重なり合って、今までフィリップがしたくてもできなかったあらゆる体験をブッチは父親の代り役をするかのようにフィリップに経験させ教訓や真の生き方を教示していくんですね。

ハロウインでの振る舞い方、感謝を持つ心、家族を守ることの重要性、あらゆることをブッチはフィリップに教え込んでいく。このあたりは犯罪者らしからぬ極々普通の優しい父親の顔が垣間見れます。もし、ブッチが犯罪者でなければフィリップの良き父になることが出来たかもしれない。いや、そうなって欲しい。そうすればフィリップは父親の強さと愛情を感じながら違った人生を歩む事も出来ただろうと思います。

僕たちは普段マンネリ化した生活に変化を求め、ついつい不満や愚痴を零してしまうもの。しかしこの映画を観るとそんな普段の何気ない生活や家族との触れ合いに、もっと感謝をするべきだし、それができる事を幸せに思わないといけないという事を痛感させられます。

アメリカン・ラプソディ

親子の絆を再確認したくなったらぜひ観るべき映画

2001年製作 アメリカ 108分

監督

エヴァ・ガルドス

キャスト

ナスターシャ・キンスキー スカーレット・ヨハンソン トニー・ゴールドウィン エミー・ロッサム

撮影ロケーション・情景

1950年代冷戦下のブダペスト(ハンガリー)、アメリカ亡命、ハンガリー郡部、60~70年代ロサンゼルス、70年代ブダペスト(ハンガリー)

アメリカン・ラプソディのあらすじ

1950年共産独裁体制のハンガリーから逃れるためにアメリカに政治亡命したある一家の実話です。

この一家には生後間もない娘ジュジーがいるのですがアメリカへ渡るための手続きに手違いが生じ、ジュジーを一緒に亡命させることができず、一時的に里親に預けハンガリーに置いてアメリカへと向かいます。無事にアメリカへと亡命を果たした一家は自由を手に入れますが1人残したジュジーのことだけが気がかりでなりません。

結局一家はジュジーを渡米させることができないまま時が流れ、ジュジーが6歳になった頃、八方手を尽くしアメリカ赤十字社の力を借りてジュジーをハンガリーから呼び寄せることに成功します。しかしやっと再会した時には6年もの年月が経ってしまっていたためジュジーの気持ちは複雑です。

いつかは別れを告げなければならない事は解っていながらも、本当の娘のように6歳まで溺愛し育ててくれた優しい農夫婦をジュジーは真の両親と信じて疑わず、本当の両親に会えたのにもかかわらず「ハンガリーに帰りたい、パパとママに会いたい」と悩み続けます。

そんなジュジーに父は「お前が大きくなって、その時にまだ同じ気持ちでいるならハンガリーに帰ってもいい。ただそれまでは実母をママと呼んでほしい」と告げます。そしてジュジーが16歳になった時、それが現実となり故郷のハンガリーに里親と再会する旅に出るのです。

アメリカン・ラプソディのレビュー・感想

この映画を観終わって知ったのがこの作品の監督エヴァ・ガルドスという人がジュジー本人であるという事。幼少期のジュジーがたった一人飛行機に乗ってアメリカに旅立つ場面があるのですが、ジュジーにとって、どんなに不安で心細かった事か、これが自分の子供だったらと思うと涙が止まりません。

そんな辛い思い出が蘇るであろうに、実体験を映画にする事は心情的に簡単ではないはず。どんなに悲しい記憶でも仕事とはいえ目をそむけないで再現しなければならない中、いったいどんな想いでこのシーンを撮っていたのでしょう。最後のクレジットと一緒にに映し出されるジュジーと母親の再会を果たした時の実写真が一層涙を誘いますね。

赤ん坊を祖国に置き去りにしてしまった親と、本当の娘のように育てた親。どちらの立場に立たされたとしても双方の気持ちが痛いほど分かるいい映画です。親子の絆を再確認したくなったらぜひ観て欲しい作品のひとつです。

最高の人生の見つけ方

死ぬ前にやり残したことを実現する“”棺桶リスト”の旅

2007年製作 アメリカ 97分

監督

ロブ・ライナー

キャスト

ジャック・ニコルソン モーガン・フリーマン ショーン・ヘイズ ビヴァリー・トッド ロブ・モロー

撮影ロケーション・情景

棺桶リスト、ロサンゼルス、スカイダイビング、プライベートジェット、アフリカ、エジプト、インド、ヒマヤラ、香港、フューネラル・ホーム

最高の人生の見つけ方のあらすじ

共に死を宣告された二人の男が、死ぬ前にやり残したことを実現するために冒険の旅に出るという物語。妻、子供を養うために真正直に働き続けてきたモーガン・フリーマン演じる自動車修理工カーターは、ある日突然妻からの病院検査の報告を受け自分が病に侵されている事を知る。また一方、ジャック・ニコルソン演じる大富豪エドワードも、自身の経営する病院経営に伴う裁判の途中吐血し、エドワードが経営する病院に入院することになる。その同じ病室で二人は出会います。

共に死を宣告された二人の男が、死ぬ前にやり残したことを実現するために冒険の旅に出るという物語。妻、子供を養うために真正直に働き続けてきたモーガン・フリーマンが演じる自動車修理工カーターにある日突然妻からの病院検査の報告を受け自分が病に侵されている事を知る。また一方、ジャック・ニコルソン演じる大富豪エドワードも自身の経営する病院経営に伴う裁判の途中吐血し、エドワードが経営する病院に入院することになる。その同じ病室で二人は出会います。

最高の人生の見つけ方のレビュー・感想

アメリカの葬儀と日本の葬儀の格差

映画終盤、先に旅立ったカーター(モーガン・フリーマン)の葬儀で、エドワード(ジャック・ニコルソン)が彼について思い出や彼の事を式壇で語るシーンがあります。 よくアメリカ映画ではこういったシーンを見かけますがアメリカの葬儀でこれを「シェア」というそうです。文字通り、故人の思い出を参列者が“共有”するというものらしいのですが、そこに集まった親しい人たちが式壇に登壇し、故人に対する思い出や感謝の言葉を語るのだそうです。そんな風に故人を偲び、いなくなってしまった事の悲しみや故人への感謝等、そうして、喜怒哀楽を出し合うことで、各々が新たなステップを踏む足がかりになるのだそうです。確かにこういう機会がなければ前を向いて生きようとする新しい自分を見つけられません。 エドワードが、カーターとの思い出を語るその姿には、残された己の人生を全うしようとする決意がよく表れています。その点を考えると、お経中心の日本の葬儀はそういったものが少し忘れられているような気がします。

格言「正直は一生の宝」

この映画の“肝”である「死ぬ前にやり残したことを実現する【棺桶リスト】」。そのリストに「世界一の美女にキスをする」という目標をエドワードは勝手に加えてしまうのですが、何不自由なく生きてきたようなエドワードにも永年埋める事のできない心の葛藤があってその「世界一の美女にキスをする」という目標を思いもよらぬ形で最後に成し遂げるシーンはとても洒落ていてジーンときます。 たとえ家族であっても(他人であっても)しばし人は些細なことで確執を作ってしまうもの。しかし原因はどうあれ、自分の気持ちに正直でいる事がいかにすばらしい結果をもたらすかという事をこの映画は教えてくれます。肝に銘じよう。「正直は一生の宝」。