ゲーム

“日常に飽きた”と嘆く人には面白い作品

1997年製作  アメリカ  128分

監督

デヴィッド・フィンチャー

キャスト

マイケル・ダグラス  ショーン・ペン  アンナ・カタリーナ  デボラ・カーラ・アンガー  ジェームズ・レブホーン  アーミン・ミューラー=スタール

撮影ロケーション・情景

サンフランシスコ 大邸宅 BMW7シリーズ メキシコ

ゲームのあらすじ

サンフランシスコで投資事業を行っているニコラス・ヴァン・オートン(マイケル・ダグラス)は日々多忙を極める実業家。妻のエリザベス(アンナ・カタリーナ)とは離婚し大豪邸にひとり暮らしていた。

ある朝、ニコラスは一日のスケジュールを秘書に確認していると「社長とランチをご一緒したい」といういたずら電話があったことを聞かされる。その電話の主はニコラスの弟コンラッド・ヴァン・オートン(ショーン・ペン)からの電話であった。ニコラスは秘書に予定していた昼食会をキャンセルさせ弟とのランチを優先させた。

ニコラスは行きつけのレストランで弟コンラッドと3年ぶりに再会する。その日はニコラスの誕生日でコンラッドは誕生日プレゼントとしてCRSという謎めいた会員クラブの招待状をニコラスに贈った。ニコラスはコンラッドに「そのクラブは何だ」と尋ねるも、コンラッドは「退屈な人生が楽しくなる。だから電話して」と意味深げに答えるだけだった。

その夜、帰宅したニコラスは家政婦のイルサが用意してくれたハンバーガーとちんまりとした誕生日ケーキをトレイにのせ、ひとり物寂しい 夕食をとろうとしていた。するとそこに別れたエリザベスから誕生日を祝福する電話が入った。しかしそんな気遣いをするエリザベスにニコラスは虚勢をはり素っ気ない態度で受答えをするが、エリザベスが触れたある話題でニコラスは神妙な面持ちをみせる。それはきょう48歳の誕生日迎えたニコラスと奇しくも同じ歳に屋敷の屋上から身を投げ自ら命をたった父の事だった。ニコラスはじっと目を閉じあの日の凄惨な光景を思い出していた。

翌日ニコラスは商談をするためにあるビルを訪れるが、この時このビルの14階にCRSの会社が入っている事に気付く。興味をそそられCRSのフロントを尋ねたニコラスは対応してくれたデータ分析部長のジム・ファインゴールド(ジェームズ・レブホーン)に「このクラブは何を商売にする会社なのか」と尋ねると、ファインゴールドは「ゲームです。一人一人に合わせてゲームを創ります。人生のバカンスとお考えください。」と答えた。

答えとしては漠然としていたがニコラスは何げに興味を惹かれ入会の手続きをすすめる事に。しかし入会手続きを完了させる事は一筋縄では行かず、心理テストや体力テストなど丸1日を費やしてしまった。

入会はしたものの、実際に「ゲーム」のサービスの提供を受けるかどうか考え悩んでいたニコラスはある日偶然にもCRSについて語る2人の老紳士の会話を耳にする。ニコラスは二人にCRSの体験談を聞こうとするが二人は闇雲に称賛するだけで、事細かな内容についてはお茶を濁しその場を去って行った。

疑心暗鬼のまま数日が経ち、ある晩ニコラスが帰宅すると、不気味なピエロの人形が玄関前に横たわっていた。そのピエロをニコラスは抱きかかえ部屋に入るが、ピエロの口元を観ると何やら赤い紐が出ており、紐を手繰り寄せるとその紐の先にはCRSの鍵が括りつけられていた。

とりあえずピエロをソファーに座らせたニコラスはいつものように株価情報番組をみていた。ニュースを読んでいるキャスターの声に耳を傾ける傍ら、ピエロの顔をじっと眺めていると突然キャスターがニコラス・ヴァン・オートンの名前を口にした。これにはニコラスも驚いたが、もっと驚いたのはキャスターからニコラスの姿、家中の様子が見られている事だった。ニコラスはキャスターに「これはどういう事だ」と聞くと、キャスターは「これがゲームだよ。ようこそ」とニコラスに告げた。そしてキャスターがゲームの基本ルールを説明し始めると突如家政婦のイルサが帰宅を告げに部屋に表れた。それまでニコラスとテレビ越しに会話をしていたキャスターは瞬時に通常のニュース放送に画面が切り替わった。

イルサがいなくなると画面は再びニコラスとの会話にもどり、キャスターはCRSの24時間ホットラインサービスの連絡先をニコラスにメモするように促し、「ゲームの目的を尋ねようとしても無駄だ。その解明こそがこのゲームの目的なのだから」という意味シンな言葉を残し再び通常のニュース放送に切り替えた。

「何かが始まろうとしている」と神妙な面持ちを隠せないニコラスであったが、彼はこれから戦々恐々とした日々を送ることになる。

ゲームのレビュー・感想

この映画の舞台の殆どはサンフランシスコ。ただし、サンフランシスコの景観を楽しもうとこの映画をチョイスしても、あの燦々としたサンフランシスコのイメージは全くありません。シーンの多くは夜の撮影です。

あらすじにもあるようにこの映画の肝は「人生のバカンス」と称する人生ゲーム。観ていて初めはこういうサービスを行う企業があってもいいし、面白いのでは?とも思ったりもしたけれど、ニコラスに仕掛けられるゲームは想像をはるかに超えており、「なるほど、これは面白い」と思わせるリアルな仕掛けもあれば「こんなことされたら訴訟もんだろう」とも思えるような浮世離れした仕掛けなど様々です。

もうどこかでゲームと言える範囲を超越しちゃっているけれど、ただ単純に映画として観るのであればすごく面白いし、「もし自分がこの状況になったら?」と一考しながら観る事が出来るので退屈しません。“日常に飽きた”と嘆く人には面白い作品だと思います。

映画制作で一番偉い人は誰?

監督、製作総指揮、プロデューサー、脚本家、それぞれの役割と地位的序列

DVDやBlu-rayなどのディスクジャケットの裏面を見ると、俳優さんのみならず、監督、製作総指揮、脚本、プロデューサーという具合に色々な肩書の方々を目にすると思いますが、監督、製作総指揮、プロデューサーってそれぞれどんな仕事してんの?「一体誰が一番偉いの?」って思ったりしたことありませんか?

有名な映画でバック・トゥ・ザ・フューチャーという作品があります。ご存知ですよね。この作品の場合、

監督:ロバート・ゼメキス

製作総指揮:スティーブン・スピルバーグ

とあります。

監督だからゼメキスさんも偉いんだろうけど、スピルバーグって聞いちゃうと何となくそちらの方のほうが偉いんだろうなとも思うし、もっとわからないのは

製作総指揮:ジョージ・ルーカス

監督:スティーブン・スピルバーグ

というパターン。

スティーブン・スピルバーグもジョージ・ルーカスもいわずと知れた超大物。

なので本章ではそれら監督、製作総指揮、プロデューサー、そして脚本家も含めそれぞれの役割地位的序列についてまとめてみました。

それぞれの役割と偉い順番は以下です。偉い順にいうと

①製作総指揮

英語でいうと「エグゼクティブプロデユーサー」という位置づけで、この中では一番偉い地位の方。ただ一般のイベントなどもそうですが「イベント総責任者」という肩書の人の下に「イベント運営責任者(実行責任者)」⇒「イベント集客責任者」みたいな人がいて、実際に個々のかじ取りを行うのは「運営責任者(実行責任者)」や「集客責任者」が行うのと同様に製作総指揮といってもその人が何をするというわけではないようです。

ただ、現実的に大物陣を冠に迎える事でいい脚本が集まりやすいのも事実ですし、また資金調達を有利に行うためになんていう事もあるようです。たとえば将来を期待されるほどの有望な若手監督がいたとしても、お金がなければ映画自体作れない。そんな場合に彼らを開花させようと資金調達をしてくれる大物監督やらを「製作総指揮」という立場で監督の上に置き、冠作品を作るという事も結構あるようです。(特にハリウッド映画)

②プロデューサー

映画全体の企画の立案から作品の制作完了までを仕切る人で、監督の起用にも決定権をもっています。また映画製作における進捗スケジュールの管理や、製作費用の運用や管理を主として仕事を行います。

③監督(演出)

監督は映画製作においては演出と同じ位置づけで称されることもありますが、映画の品質に特化した最も重要な役目です。現場で撮影されるシーンのカットは監督が全て「OK」か「NG」かを判断します。キャストの演技やカメラワークなどレンズを通してみるものすべてに注文を付け、映画品質そのものを向上させます。

映画ストーリーの肝ともなる脚本の選定や俳優陣の選任、そして使用する音楽や効果音など、あらゆる場面で決断を下さなければならない立場にいます。「監督の感性で作品の良し悪しが決まる」とよくいわれるのはそのためです。

ちなみに使用する音楽と編集方法の違いに(そこに携わる人の感性)によって、映画そのものの趣きが全く変わってしまうという事をジャック・ニコルソン主演の「アバウト・シュミット」という作品の特典映像を観るとよく解ります。

④脚本家

監督の要請で、物語となるあらすじを脚本として書きおろす仕事を担います。脚本ひとつで観る者を引き込ませるストーリーの展開や、演じる人のセリフや言い回しでその人の心情や情景が大きく変わってしまいます。

いい俳優を使っていて、写っている景色や街並みも素晴らしいのに、脚本がショボいため途中で観る気が失せてしまうことがたまにあります。映画そのものがわざとらしく思えてしまうというか・・・。

脚本は映画が光るか否かを大きく左右すると言っても決して過言ではないですね。

キャスト・アウェイ

トム・ハンクスの役作りの凄さと観る者を飽きさせないストーリー展開

2000年製作  アメリカ  144分

監督

ロバート・ゼメキス

キャスト

トム・ハンクス  ヘレン・ハント  ニック・サーシー

撮影ロケーション・情景

航空貨物 テネシー州メンフィス アメリカの片田舎 メンフィス国際空港 航空機事故 モスクワ 南太平洋クック諸島  過去恋愛の回想

キャスト・アウェイのあらすじ

チャック・ノーランド(トム・ハンクス)はテネシー州メンフィスを拠点とする物流サービス企業フェデックスで物流システムエンジニアとして世界を飛び回っていた。チャックにはケリー(ヘレン・ハント)という恋人がいて、いずれプロポーズをする事も考えていた。

あるクリスマスの夜、ケリーを招き親族一同で食事をしていると、チャックのポケベルが鳴り急遽マレーシアへの出張命令が下された。このため二人はクリスマスプレゼントを渡すタイミングを失い、チャックを空港まで送って行く車中で互いにプレゼントを渡し合った。ケリーからのプレゼントは祖父の形見である懐中時計で、そこにはケリーの写真が焼き付けられていた。一方チャックからは日記帳とポケベル、それにハンドタオルが贈られたが、ハンドタオルはおふざけで、彼はそっとポケットから本命であるプロポーズ用の指輪を出しケリーに渡した。本当は年末の大晦日に渡そうと準備していたものだったが、なぜかこの場で渡すことになり、チャックはマレーシアへと旅発った。

しかし、不運にもチャックを乗せたフェデックスの貨物便は、悪天候により航路をだいぶ逸れ、コントロールを失った挙句、南太平洋に墜落してしまう。膨大な量の海水が機体に浸水し、沈みゆく機体から海へと投げ出されたチャックは必死に緊急用救命ボートにしがみ付き困難に立ち向かうが、そのまま意識を失ってしまう。一夜が明け、意識を取り戻すとチャックはある島に漂流していた。墜落した衝撃で機体から放り出された多くの宅配物が海に散らばり、哀しげに砂浜に打ち寄せられる。起きた現実をまだ理解できないチャックは、朦朧としながらも生業とする大切な荷物を必死に拾いながら大声で叫び救助を求めるが、そこは人ひとりいない、淋しい無人島であった。その日から4年に及ぶ、チャックの孤独で過酷なサバイバルが始まる事になる。

チャックは直に喉の渇き、空腹に苦しめられるようになり、拾い集めたフェデックスの荷物を手当たり次第に開け、飢えに備えるための道具に使えるよう知恵を絞った。スケート靴の刃の部分を使いヤシの実を割ったり、布きれを足に撒いて靴の代用をしたりチャックは必死に現実と向き合った。次第に魚を獲る技術も覚え飢えには何とか対処できるようになったがチャックを最も苦しめたのは猛烈な孤独感であった。

チャックはある日火を起こそうとして手に傷を負ってしまう。手からは血が流れ、怒ったチャックは傍においていた荷物のひとつであるウイルソン製のバレーボールにあたり放り投げてしまう。ところが、その真っ白なバレーボールには怪我をしたチャックの血痕で手形がつき、不思議とボールは人の顔のような様相になった。チャックはその手形に目を入れ、鼻を書き、口を書くなどして人の顔に見立て、ウイルソンという名前まで付けた。チャックは日々ウイルソンに話しかけるようになり、以来そのボールがチャックの唯一の心の拠り所になっていった。

キャスト・アウェイのレビュー・感想

ストーリーの半分以上をトム・ハンクス一人で演じているのに観ている者を飽きさせない

このキャスト・アウェイという映画ですが、シチュエーションの柱となっているのが実在するフェデックスという企業である事や、ストーリーがそれほど複雑ではないのに映画化された事、そしてその単純なストーリーにもかかわらず情景が凄くリアルに描かれているという点から、一瞬、実話?と思わせるような作品です。でも調べてみるとこの作品、全てフィクションという事らしいです。

この映画の上映時間は2時間24分なんですが、そのうちの約1時間15分はトム・ハンクス一人で演じています。それでも全く観ている者を飽きさせないストーリー展開というか情景を一こま一こま上手に描いるところが見事です。

そして何よりトム・ハンクスの役作りが凄い。漂流する前は少しブヨブヨとした体系をしていたチャックですが、サバイバルをしていくうちに段々と痩せ細っていく姿は実にリアルです。事実、この役を演じ切るために22.7kg減量したそうなので役者魂とはいえ凄いですね。

宗教が存在する理由が何となく理解できる

僕はこの映画の中で特に印象に残っているのがウイルソン製のバレーボールに人の顔を書いて、それにウイルソンという名前を付けボールを崇めるシーンです。ところがある日暴風雨に襲われウィルソンは海に落ち消えて行ってしまうのですが、チャックが必死にウイルソンを助けようとするんですね。これは大切なわが子を救おうとする場合の親心と一緒です。唯一の心の拠り所となっていたウイルソンは単なるボールではなくチャックの友達になっていたのでしょう。

形がどうあれ自分の心の支えとなるものがあり、それに縋ろうとする人の心。何となく宗教というものがこの世に存在する理由が理解できるような気がします。

時間の残酷さ

それと時間というものの残酷さを感じます。漂流する前まではチャックはケリーと結婚するはずだった。ケリーもチャックはきっとどこかで生きていると思っていたはず。しかし4年という時間はあまりにも長く、頑なに決めていた人の心をも変えてしまうんですね。ケリーは別の男性と結婚し子供にも恵まれ仲睦ましく暮らしていた。

チャックの存在はもう単なる過去の出来事のひとつに過ぎないのかもしれません。しかしチャックが生きていたことを知り、全て過去へと追いやっていたはずの時間が巻き戻され、ケリーは卒倒してしまいます。そして4年ぶりにチャックはケリーと再会しますが、長い歳月があの時とは全く違う現実を作ってしまいました。チャックはケリーに貰った懐中時計を返そうとしますが、ケリーは「あなたにあげたのだから持ってて」とチャックに言います。

今でもチャックを愛していたケリーは二人の人生が全く変わってしまた今、その言葉しか見つからなかったのでしょう。しかしチャックは「家族の宝は家族が持っているべきだよ」と断わりケリーの元を離れていきます。

土砂降りの雨の中、ケリーはチャックの後を追い、二人は互いに抱き合い愛が変わっていない事を確認するのですが、このまま二人で一緒に逃げる事もできたでしょう。しかしチャックはケリーに家庭を壊して欲しくないという想いからケリーを諦め別れを告げるんです。本当の愛ってこういうものなのかもしれません。時間の残酷さをつくづく感じます。

レスラー

一見スポ根ぽいけれど、実は疎遠になっていた父と娘の心の隙間を描いた物語

2008年製作  アメリカ  115分

監督

ダーレン・アロノフスキー

キャスト

ミッキー・ローク   マリサ・トメイ    エヴァン・レイチェル・ウッド

撮影ロケーション・情景

アメリカンプロレス トレーラーハウス ストリップクラブ ニュージャージー州オーシャンシティ アメリカのスーパーマーケット ダッジラムバン

レスラーのあらすじ

80年代全米中を轟かせていた伝説のプロレスラー ランディ・“ザ・ラム”(ミッキーローク)は年月の経過とともに体力も衰えはじめ、今ではスーパーでの仕事を掛け持ちしながら辛うじてレスラー生活を続け生計を立てていた。彼には結婚歴があり一人娘ステファニー(エヴァン・レイチェル・ウッド)もいたがプロレスで全米を飛び回り家庭を顧みない行動が災いして彼女が幼い頃家庭は破綻した。

そんな孤独でいじましい生活を送るランディの唯一の楽しみはストリップクラブで働くダンサーのキャシディ(マリサ・トメイ)に会いに行く事だった。ランディは毎日のようにプロレス巡業から帰るとキャシディに会うため店を訪れていた。

そんなランディがある日巡業先の試合中心臓発作を起こし倒れてしまう。原因はランディが過去、長期にわたり使用していたステロイド剤だった。手術を担当した主治医からは「もうプロレスは無理、すぐに止めるべき」と勧告されてしまう。ランディはそのことを真っ先にキャシディに伝えに行くが、キャシディは「疎遠になっている一人娘ステファニーに会ってそのことを伝えるべき」と窘めた。

ステファニーに会う事を決めたランディは日頃から肌身離さず持ち歩いる幼少のころのステファニーの写真の裏に書いてある連絡先を元に電話をかけるが一向に繋がらず、ついにランディはアポなしで彼女の家を訪れた。

ようやくステファニーに会う事ができたランディであったが、案の定彼女は冷ややかで今まで家族を大切にしなかった父ランディをすぐには許すことは出来なかったが、ランディは父親らしさを取り戻すためにステファニーにプレゼントを贈るなどして、徐々に二人の関係に修復が見え始めた。ランディは昔親子で訪れた思い出の場所へステファニーと共にでかけ楽しい時間を過ごすが、自責の念にかられていたランディは自分の犯した過去の過ちをステファニーに詫び涙を流す。

レスラーのレビュー・感想

はじめは何となくプロレスラーのスポ根もの?って思って正直あまり期待していなかったんですが、観ると全く違っていて、自分の人生、生き方、家族とのつながりを描く物語で、すごくいい映画を観たなぁって思いました。僕は普段、アカデミー賞何たらというものは全く気に留めず映画を観るんですが、後々調べてみると、この作品、ヴェネツィア映画祭金獅子賞、ゴールデングローブ主演男優賞を獲っていて「なるほど、いい映画なわけだ」って思いましたね。

ランディ扮するミッキーロークですがナインハーフの頃の超イケメンだった面影は全くありません。顔を整形して失敗したという話ですが、初めは観ていてとても痛々しい感じでした。でも一回りも二回りも体は肥大化していますが、元ボクサーという事もあり、この年齢でこの身体、よく鍛え上げられているなあと感心します。

疎遠になっていた父と娘。長い間寂しい思いをしたステファニーの心の隙間はすぐには埋められないのでしょうが、思い出の場所でダンスを踊る父と娘、父が娘の肩を抱きかかえながら仲良く散歩するシーンはとても幸せな気持ちになるし、この時間がずっと流れていてほしい、二人を引き裂かないでほしいと観ていて願わずにはいられません。

もしも、娘さんと何らかの理由で疎遠になってしまっていて、気持ちにわだかまりがあるお父さんがいたとするなら、ぜひこの映画を観てください。僕はその点ではこの映画に救われました。

そして、何といってもランディの生き方がカッコいい。歳を老いても身体を張って頑張るオヤジって、観ていて勇気もらえます。

日本語字幕と吹替字幕ってどう違う

あれ?字幕が全然出てこない

DVDなどの洋画を観る際、設定メニューにある「字幕」という項目の中で「日本語字幕」というのと「吹替字幕」という何とも判断しにくいボタンがあるのをご存知かもしれませんが「吹替字幕」に設定して観ようとしたら「あれ?字幕が全然出てこないぞ」という経験をした人も多いのではないでしょうか。本章ではこの「日本語字幕」と「吹替字幕」の違いについて解説してみたいと思います。

日本語字幕とは

まず「日本語字幕」ですがこの設定にすると演じている俳優陣のセリフ、電話での会話(相手のセリフは斜体)テレビから流れる音声(この場合も斜体)手紙を書いている場面での内容を記すナレーション お店の看板等、状況を説明するのに必要なものすべてを日本語に直し字幕として映し出します。

吹替字幕とは

吹替字幕は俳優陣のセリフ、電話での会話(相手のセリフも含め)テレビから流れる音声 手紙の内容を記すナレーション等には字幕は登場しません。ただ道路標識やお店の看板等、状況を把握するための字幕は表示されます。

日本語字幕と吹替字幕2種類の字幕が存在する理由

ではなぜそのような日本語字幕と吹替字幕の2種類で区分けがされるのかというと、たとえば音声を日本語設定にし字幕をoffにして映画を観る場合、俳優陣のセリフは日本語ですから問題ありませんが、映画の箇所々に出てくる標識やお店の看板などは英語表記のままなので理解できないという事になります。

じゃあ、音声も日本語で字幕も日本語字幕にすればという事になりますが、その場合日本語でセリフが語られているのに、それに合わせて日本語の字幕も見せられることになりますのでちょっとウザイとなるわけです。

吹替字幕というのは正しくは「日本語吹替え用字幕」といって、その名の通り「日本語吹替えで観る場合」の字幕設定というわけです。

長々書きましたが要するに「俳優陣たちのセリフに字幕が付くか付かないか」の違いですね。

ハリウッド映画とは

ハリウッド映画の中枢を担う大手映画制作会社

アメリカのハリウッド(カリフォルニア州ロサンゼルス市)には多くの映画制作会社の拠点があり、その地区を拠点とする会社に作られた映画がハリウッド映画とよばれるものです。中でも下記の6社がその中枢を担う大手映画制作会社です。

①ソニー・ピクチャーズ・エンターテインメント

有名作品:007 スカイフォール メン・イン・ブラックシリーズ

年間売上:約1400億円


②ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ

主な作品:美女と野獣 パイレーツ・オブ・カリビアン

年間売上:約1185億円


③ワーナーブラザーズ

主な作品:ダーティハリーシリーズ ハリー・ポッターシリーズ

年間売上:約1135億円


④ユニバーサル・ピクチャーズ

主な作品:ジョーズシリーズ ツイスター

年間売上:約970億円


⑤20世紀フォックス

主な作品:タイタニック スター・ウォーズシリーズ

年間売上:770億円


⑥パラマウント・ピクチャーズ

主な作品:インディ・ジョーンズシリーズ ゴッドファーザーシリーズ

640億円

映画「制作会社」と「配給会社」の違いは?

映画を観ようとすると冒頭オープニングで複数の会社のロゴや社名が表示され、「これって何?」と思う人もいるのではないでしょうか。

でも何となくこれらの会社、この映画を製作している会社か、あるいはDVDなどのメディァを作っているもしくは配給している会社という事は察しがつくのですが、この「制作会社」と「配給会社」いまひとつ違いがピンときません。ですので、映画における「制作会社」「配給会社」の違いについて調べてみました。

一番最初に表示されるのが「制作会社」でその次に出るのが「配給会社」

映画制作会社はその名の通り映画をつくる会社で、映画製作に必要な資金を確保するためにスポンサーをみつけ、そして資金が調ったら脚本を買い、監督や俳優陣を雇って映画を製作します。

配給会社は製作された、もしくはこれから製作される映画を買い付けて、映画館やDVDなどのメディアやテレビ放送するための権利を買う会社です。配給会社は購入した映画での興業収入を上げるために写真集やサウンドトラックなどを商品化したり、主演男優や主演女優などを来日させ、宣伝イベントを行うなどをしています。

たとえるなら「トヨタ自動車株式会社」が制作会社で「ネッツトヨタ○○」が配給会社という感じでしょうか。ただ近年、製作、配給ともに同じ会社で行っているというケースもあるようです。

ちなみにレオナルド・ディカプリオ主演の「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」という作品は製作会社はスティーヴン・スピルバーグが設立したアンブリン・エンターテインメントという会社で、配給はドリームワークスというアメリカの映画製作会社が行っていたりします。

よくDVDを見始めると会社のロゴマークみたいなものが2つくらい出てきて「これらの会社の関係は何?」と思ったりしますが、一番最初にでるのが制作会社で次に出るロゴマークが配給会社のようです。

アバウト・シュミット

老紳士の疎外感を巧みな脚本が見事に表現

2002年製作  アメリカ  125分

監督

アレクサンダー・ペイン

キャスト

ジャック・ニコルソン キャシー・ベイツ ホープ・デイヴィス ダーモット・マローニー ジューン・スキッブ レン・キャリオー

撮影ロケーション・情景

アメリカネブラスカ州オマハ  定年退職 キャンピングカー アメリカの葬儀 エプリー・エアフィールド(オマハの空港) ミッドウェスト航空 キャデラックコンコース ネブラスカ州グランドアイランド郊外 ネブラスカ州ホールドレッジ ネブラスカ州カーニー コロラド州デンバー アメリカの結婚式

アバウト・シュミットのあらすじ

ネブラスカ州オマハに住むウォーレン・シュミット(ジャック・ニコルソン)は永年ウッドメンという保険会社で保険数理士として働いていたが、いよいよ引退の日を迎える事に。

これからは妻ヘレン(ジューン・スキッブ)と余生を楽しみ全米中を妻と一緒に旅しようと大きなキャンピングカーを購入した。シュミット夫妻にはジーニーという一人娘がいるが彼女は結婚式準備のため嫁ぎ先であるデンバーに滞在していた。そんな楽しい余生が待っているはずだったが、実際に引退してみると毎朝決まって7:00には目を覚ましてしまい、心にポッカリ穴があいたような 満たされない生活であった。

ある日ウォーレンが自宅でテレビを見ていると飢餓に苦しむ世界中の子供たちへの支援団体「チャイルドリーチ」からの義援金を募るコマーシャルが目に留まった。それがきっかけでウォーレンは6歳のンドゥグという少年の養父になる事を決心する。そして金銭的援助に留まらず、ンドゥグへ手紙を書き自身の生活ぶりや家族について綴ったりしていた。

数日後、郵便局に出かけたウォーレンが用事を済ませ自宅に戻ってみると、妻ヘレンが心臓発作で倒れており帰らぬ人となってしまった。今まで生活の全てをヘレンに任せていたウォーレンは、以来、掃除も片付けもできず、足のふみ場もない程だらしない生活を送るようになってしまった。

独りぼっちになり益々満たされない生活を送っていたウォーレンは、ある深夜、突然目を覚まし「俺はオマハデ何をしてるんだ。家族は一緒にいるべきだ」という想いに駆り立てられ一人キャンピングカーに乗り娘の住むデンバーを目指す決心をする。

アバウト・シュミットのレビュー・感想

些細なところにアメリカと日本の差を感じる

「保険数理人」という職業がある事を僕は知りませんでしたが、一般的にはアクチュアリーと呼ばれているらしく、生命保険や損害保険などの金融商品を設計する仕事らしいですね。

そういったいわゆるエリート畑で仕事をしてきたからなのでしょうが、ウォーレンは在職中リンカーンをマイカーとして所有し、定年退職後も豪華なキャンピングカーを購入するなど、私たち日本人が定年退職して余生を送るイメージと比べると、やはりアメリカはスケールが違うなあという感じです。

もちろん日本だって戦後、高度経済成長を遂げ経済大国となったわけですし、それらの比較が全てではありませんが、そんな些細な部分でも冷静に見ると、子供の頃、アメリカのホームドラマをみて「こんな豪勢な生活してるの?!アメリカってすげ~え!」と感じたあの気持ちが蘇りますね。

さて映画の中身ですが、退職後すぐウォーレンは自分のいなくなった職場が気になり、ウッドメンに立ち寄るシーンがあります。“自分がいなくなって会社は回るのか?”という一種の思い上がりですね。(笑)

20年以上勤めた会社を辞めた経験が僕にもあるのでその気持ちよく解ります。でも現実は、自分一人くらい会社を抜けても立派に回るものなんですよね。ほとんどの場合。(笑)「あなたがいなくてもちゃんと会社は機能していますよ」という事をウォーレンを傷つけないように窘める後任者の振る舞いが上手に描かれています。

ロードムービーならではのアメリカのローカルな風景が楽しめる

また、デンバーにいる一人娘ジーニーへ会いに行くまでの道中が結構描かれていますのでロードムービーならではのアメリカのローカルな風景が楽しめます。それと脚本がいいと映画ってやっぱり光りますね。ンドゥグへの手紙に綴られる言葉、妻や娘と交わす言葉、そしてこの映画の本質ともいえる老紳士の疎外感を巧みな脚本が言い表しています。

見逃さないで欲しい特典映像

そして絶対に見逃さないで欲しいのが特典映像ですね。コンテンツがすごく面白いです。

監督が編集担当者のスキルアップのために、本編とは違う別の風景をセカンドカメラマンに撮らせ、それを使い仮想のオープニングとして作らせた映像です。

ウッドメンビルと、うら寂しいオマハの風景を使い、複数の編集担当と音楽担当がタッグを組み仮想のオープニングを5パターン製作したわけですが、情景はほとんど同じなのに使用する音楽と編集方法の違いによって映画の趣きが全く変わってしまうのが面白いというか不思議です。映画ってこんな風に作られていくのかと感心させられますよ。

リービング・ラスベガス

ラスベガスという街をシチュエーションとしているあたりが妙に調和がとれていて面白い

1995年製作  アメリカ  111分

監督

マイク・フィギス

キャスト

ニコラス・ケイジ エリザベス・シュー ジュリアン・サンズ キャリー・ローウェル

撮影ロケーション・情景

ラスベガス ラスベガス・ブルーバード(フラミンゴラスベガス附近) カジノ ネバダ山脈 ロサンゼルス アメリカのbar BMW5シリーズ

リービング・ラスベガスのあらすじ

ベン・サンダーソン(ニコラス・ケイジ)は家庭を持ち、ロサンゼルスで暮らしていたが重度のアルコール依存症が原因で妻子と別れ、勤めていたハリウッドの映画制作会社も解雇されてしまう。

自暴自棄に陥っていたベンは自宅を整理し、家族の写真も焼き捨て、わずかな退職金を手に愛車BMWに乗り眠らぬ街ラスベガスへと向かう。ラスベガスで財力尽きるまで酒を飲み続け、そこで死のうと決めていたからだ。

ラスベガスに着くと安いモーテルを借り、そこを棲家とするベンであったが、相変わらず酒に溺れ、酒瓶片手に夜な夜なラスベガスの街をぶらついていた。そしてある晩、ベンは酒に酔いながら車を運転していて道路を渡ろうとする女性を跳ねそうになる。その女性は高級娼婦のサラ(エリザベス・シュー)だった。サラは「車は赤信号で止まるのよ」とベンを戒めその場を立ち去るが、ベンは注意された事など意に介さず、モンローウオークさながらに歩くサラの後ろ姿にニンマリしてしまう。

その後ベンは毎日酒を片手に車でラスベガスの街を徘徊するのだが、客探しに街をふらついていたサラを偶然見かけ声をかける。相当酔っていたベンは人目もはばからず「俺の部屋に1時間いてくれたら500ドル払う」と自分のモーテルにサラを誘い込んだ。

ところがベンは性的サービスよりも話し相手になってもらう事を望み、延長料金を払ってまでサラとの会話を一晩楽しんだ。しかし、高いお金を払って行為に及ぼうとしないベンの事をサラは不思議に思いベンから事実を聞くことになる。

「ラスベガスには酒で死ぬために来た」と話すベンに対しサラは最初「いったい何日かかるの?お酒で死ぬのに」とあざ笑っていたが、ベンとの関係を続けていくうちに互いに惹かれあい、「お酒を止めろと絶対に言わない」事をサラに約束させベンはサラとの同棲生活を始める。ベンはアル中、サラは娼婦という互いの立場を重々承知しながら暮らしていくはずの二人だったが、愛情が深まるにつれベンのサラへの嫉妬と、ベンの健康を案じはじめたサラの違約的な発言が元で少しずつ二人の関係が壊れ始めていく。

リービング・ラスベガスのレビュー・感想

複雑怪奇な展開など特にない単純なストーリー

エンターテイメントシティ、ラスベガスを舞台に撮影された映画ですが1995年の作品という事でオープニングで登場するストリップ(ラスベガス・ブルーバードというメイン通り)の上空からの風景は今よりだいぶ淋しい感があります。

僕は個人的にこのラスベガスが好きなので何度も繰り返し観ている映画ですが、ストーリー的にはアル中と娼婦のラブロマンスという事だけで特に複雑怪奇な展開などなく単純なストーリーです。

主演男優賞のニコラス・ケイジ さすがに上手い

ただこのベンというアル中を演じるニコラス・ケイジはアカデミー賞主演男優賞を獲得しただけの事はあり、凄くリアルな演技をしてくれます。特にアルコール依存の中毒症状や孤独感に苛まれるシーンの演じ方はさすがに上手いですね。

サラとレストランで食事をする場面があるのですがアル中なので食欲がなく、料理を口元まで持っていこうとしても躊躇して止めてしまいます。それでも酒だけを飲み食事に付き合うふりをするベンの様子からは、かなり病状が悪化している事がナチュラルに伝わってきます。

人生山あり谷ありで、時には誰でも自暴自棄になる事もあるでしょう。一時の感情から判断を誤る事もあるでしょう。しかし生きてさえいればその先には必ず未来が待っています。もっと自分を大切にすべきです。サラがベンとの約束を破り「お願い、お酒をやめてお医者さんに行って」と説得するあたりは男性として観ていて嬉しいし、二人が真っ当な形で暮らしていける事を願うけれど、ベンの健康が既に共なわない状況になってしまった事が非常に残念。

物語のシチュエーションをラスベガスに設定したのがGood!

また、ラスベガスへは個人的に何度か訪れていますが、家族で楽しめるエンターテイメント性を持っている反面、夜ともなればホテル売春を斡旋する輩たちのチラシがあちらこちらで撒かれているという現実を考えると、まさに二面性をもつ街。この映画がハッピーエンドで終わらないという内容であるせいか、このラスベガスという街をシチュエーションとして設定しているあたりは妙に調和がとれていて面白いです。

プロヴァンスの贈りもの

プロバンスの圧倒的な美しさとほのぼのとしたラッセル・クロウの恋心

2006年製作  アメリカ  118分

監督

リドリー・スコット

キャスト

ラッセル・クロウ マリオン・コティヤール フレディ・ハイモア アルバート・フィニー トム・ホランダー

撮影ロケーション・情景

イギリスロンドン 金融トレーダー フランス南部プロヴァンス ワイナリー

プロヴァンスの贈りもののあらすじ

ロンドンで敏腕金融トレーダーとして働くマックス・スキナー(ラッセル・クロウ)は「休暇はトレーダーの恥」を信条とし、仕事一筋の人生を送っていた。ある日仕事から帰ったマックスが郵便物に目を通していると、疎遠になっていたプロヴァンスのヘンリーおじさんの死を知らせる手紙が届いていた。差出人はヘンリーおじさんの財産を管理するオーゼという公証人からで、遺言を20年以上書き換えていなかったため唯一の肉親であるマックスに相続を委ねたいという内容であった。

ヘンリーおじさんはプロヴァンスに古い農家とぶどう畑を所有していたが、ロンドンでの生活を基盤とするビジネスマンのマックスにとって古い農家とぶどう畑の相続には興味のない話であった。しかし、お節介な秘書にフランス行きの根回しをされ仕方なくマックスはフランスへと向かう。

真っ先に公証人オーゼを訪ねたマックスはヘンリーおじさんが自分にブドウ農園を継承してもらいたいと希望していた事をオーゼから聞くが、「ワイン生産者になる気はない」と断った。オーゼはワインづくりはデユフロに任せて週末だけプロヴァンスで過ごしたらどうかと提案するがマックスは「一刻も早く売却したい」と拒んだ。デユフロとはマックスが幼少の頃からぶどう畑をヘンリーより任され、手塩にかけてぶどうを育ててきた人物である。

そんなデユフロはぶどう畑を売却しようとしているマックスに「俺の生き甲斐を奪うのか!」と説得するがお金にしか興味のないマックスは聞く耳をもたなかった。そしてマックスはロンドンへ帰るまでに農家とぶどう畑の物件の情報をとってくるようにと不動産業者から指示されていたため、家屋や庭園の写真を撮ろうと隅々を歩き回るが、此処彼処に幼少の頃の懐かしい思い出が蘇り、売却の決心が徐々に揺らいでいく。そしてマックスはある女性と巡り合い徐々に本来の人間らしさを取り戻していく。

プロヴァンスの贈りもののレビュー・感想

アメリカ制作の映画としてはあまり馴染みのないフランスプロバンスが舞台となっています。敏腕ビジネスマンの遺産相続という金銭欲的な話ではありますが、プロバンスの圧倒的な美しさと主人公の恋心が相まってか、ほのぼのとした気持ちで観れるいい映画です。

この映画の中にロンドンに暮らす主人公が幼少の頃過ごしたプロバンスを訪れ、あちこち歩き回っているうちに幼少の頃を思い出し、なつかしがる場面が多々出てくるのですが、あれ身にしみてよく分かりますね。

田舎暮らしが嫌で故郷を離れていくという人も多いと聞きますが、僕もたまに実家に帰り、娘と自転車で周ったりすると、「ここで○○していたよなぁ」なんて色々な事を思い出しますね。まるで昨日の出来事のように。

「田舎が嫌い」と離れて行ってしまっても懐かしい思いでは決して消える事はないんですね。そういった事をこの作品は思い出させてくれます。

それとラッツセルクロウが超かっこいいですね。「スポッツウッド・クラブ」の時のような青っぽさもないし、昨今のような「ぶよぶよ感」もない。この映画の撮影が2006年だから当時42歳。正に心身ともに成熟したいい面構えです。

ちなみに過去、知人の結婚式に行く機会があって、その日出掛ける前にこの映画をたまたま観ていたのですが、いざ出かけようとフォーマルに着替えると、ラッツセルクロウのかっこ良さが映り込んでしまったのか、意気揚々と出かけたことを思い出します。まあ欧米人(ラッセルはニュージーランド出身)の身長と顔の小ささで等身比率が違いますから似ても似つきませんが(笑)