親娘の再会。互いの記憶に残るそれぞれの面影
1988年製作 アメリカ 126分
監督
マーティン・ブレスト
キャスト
ロバート・デ・ニーロ チャールズ・グローディン デニス・ファリナ ジョー・パントリアーノ
撮影ロケーション・情景
ロサンゼルス 保釈金融会社 ニューヨーク FBI アムトラック(Amtrak) オハイオ州 シカゴ アイダホ州ボイシ ラスベガス アリゾナ州 ネイティブ・アメリカン(インディアン) マッカラン国際空港(ネバダ州)
ミッドナイトランのあらすじ
シカゴ市警察の元刑事ジャック・ウォルシュ( ロバート・デ・ニーロ)は 保釈後逃亡を謀った犯罪者たちを裁判までに捕えて連行する「賞金稼ぎ」を生業としていた。ある日ウォルシュは、シカゴのヘロイン組織の金を慈善事業に寄付し、ボスのジミー・セラノ(デニス・ファリナ)から命をを狙われている会計士のジョナサン・マデューカス(通称デューク)(チャールズ・グローディン)の身柄をギャングたちに殺害される前に捕え護送するよう保釈金融資会社から指示を受ける。
引き渡し期限は公判が始まるまでの5日間でロサンゼルスまで連れて行くというもの。このデュークという男はセラノの金を慈善事業に寄付した後、セラノに「楽しく暮らしている」という挑発めいた手紙をわざわざ送りつけるというバカで変わり者。ニューヨークでデュークを見つけ捕えたウォルシュは飛行機でロスまで連れて行こうとするが「飛行恐怖症だから飛行機には乗れない」というデュークのとぼけたウソに騙され、ロスまでを陸路で向かう事になる。しかしロスまでの道のりは平坦なものではなく、車、列車、バスを乗り継ぎ、ロスまで行動を共にするが、二人は想定外の行動をとるため彼らを追うマフィア、FBI、また別の賞金稼ぎたちを混乱させていく。
デュークは護送の途中、幾度となくウォルシュから逃れようとするがウォルシュも力づくでそれを抑えようとする。しかし、そんな二人はいつしか行動を共にしていくことで少しずつ心が通い合っていく。日本であまりなじみのない「賞金稼ぎ」という職業。そもそもシカゴ市警察の刑事だったウォルシュが、なぜ刑事を辞め賞金稼ぎに身を転じたのか、そこにはギャングのボス、セラノの存在が大きく関わっていた。
ミッドナイトランのレビュー・感想
アメリカの司法制度
「賞金稼ぎ」という職業はあまり日本では聞かれない言葉ですがウォルシュがそれを生業とする設定になっているためアメリカ独特の司法制度の在り方がよく描かれていると思います。この制度を理解してから本編をご覧になった方がある意味見やすいと思いますので賞金稼ぎとアメリカの司法制度の関係について少しだけ触れておきます。
アメリカという国は国土面積が日本の約25倍、人口は日本の約2.6倍というとてつもない大国。人口が多いという事は単純に考えるとそれだけ犯罪者も多く、すべての犯罪者を留置所で拘束するとなるとキャパシティに限界があります。そのため一旦取り調べを終えると早々に保釈をさせざるを得なくなるわけですが保釈するとなるとそこで危惧されるのが犯罪者の逃亡です。
そこで裁判所は犯罪者を逃亡をさせないために保釈金を支払わせるわけですが、保釈金を都合できない人のために保釈保証業者(保釈金を融資する会社)が存在します。犯罪者はそこでお金を借りて保釈金を裁判所に支払い保釈が認められるという流れになります。
ただ保釈された犯罪者が万が一逃亡を謀った場合、ある期日内までに裁判所に犯罪者が出頭しなければその保釈金は裁判所に没収され、お金を融資した保釈保証業者は大損害となってしまいます。そこで保釈保証業者は期日内に逃亡した犯罪者を裁判所に引き渡すために「賞金稼ぎ」というプロを雇い融資したお金の回収をするわけです。
その辺りの事情を、「何が何でも容疑者を連れ戻せ」という保釈保証業者の必死ぶりをボスのエディ(ジョー・パントリアーノ)がリアルに演じています。
親娘の再会。互いの記憶に残るそれぞれの面影を辿っていく様子
またウォルシュはシカゴ市警察を去る時、致し方のない条件を突きつけられ家族と生き別れてしまうのですが、護送の途中、お金に困ったウォルシュがシカゴ郊外に住む元妻を訪ね金の無心をするんですね。元妻に「金を貸してくれ」と頼む事はウォルシュからすればとても恥ずべき事であったと思うしに、さぞかし不本意であったと思います。
お金を「貸せ!」「貸せない!」とウォルシュと元妻が押し問答をしている時、成長した愛娘デニースが奥の部屋からそっと表れるのですが、長年会っていなかった親娘が再会し、互いの記憶に残るそれぞれの面影を辿っていく様子には涙がでます。
今では別の家庭に収まっている元妻は慈悲の心も相まって最後には40ドルというわずかなお金と自分の愛車を差し出しこの場を治めようとしますが、デニースも子守で貯めたわずかなお金をウォルシュに差し出します。しかしいくらお金に困っているウォルシュでも、さすがに娘からは受け取ることができず「気持ちだけでいい」と断るのですが、この気持ち痛いほどよくわかります。これ以上自分を地に堕としたくなかったのでしょうし、父親としての虚勢もあるでしょう。
借りた車に乗りウォルシュはデニースの元を去っていきますが、互いに手を振る二人の淋しそうな様子は、やっと再会できた実の親子が再び現実に引き戻される残酷なシーンです。血のつながった親娘が一緒に暮らすことが出来ない理不尽さに「なんとかならないの?!この親娘」と思わず叫びたくなります。
世の中の夫婦が様々な理由で離婚し、一家離散という話もよくありますが、どんな理由があるにせよ後悔しないよう慎重に決断するべきでしょう。いつもそこで犠牲になるのは全く悪のない子供たちですから。(これ自分に言い聞かせてます)