グラン・トリノ

「遠い親戚より近くの他人」の象徴を見せられる

2008年製作  アメリカ  117分

監督

クリント・イーストウッド

キャスト

クリント・イーストウッド  ビー・ヴァン  アーニー・ハー  クリストファー・カーリー  ジョン・キャロル・リンチ  スコット・イーストウッド ドリーマ・ウォーカー

撮影ロケーション・情景

デトロイト グラントリノ アメリカの郊外 フォードF250 アメリカの葬儀

グラン・トリノのあらすじ

頑固で頭の固いウォルト・コワルスキー (クリント・イーストウッド)は長年勤めたフォードの工場を引退し妻ドロシーとデトロイトに暮らしていたが不幸にも妻が他界。場面は亡き妻ドロシーの葬儀のシーンから始まる。

葬儀には長男次男夫婦、またそれぞれの子供たちが参列しドロシーを弔う。しかし参列した孫たちは“ヘソ出し”の格好で現れたり、礼拝する際下ネタの呪文を唱えたり、ミサの最中携帯をいじったりと無礼千万を極めていた。ウォルトはそんな礼儀知らずの孫たちを嘆かわしいとばかりに睨み付けた。葬儀中不機嫌な顔を露骨に見せるウォルトに気付いた長男と次男であったが二人はそんな堅物のウォルトを日頃から毛嫌いしており、葬儀の最中にもかかわらず父ウォルトのこの先の面倒を互いに押し付け合っていた。

葬儀も無事終わり親戚たちが一同揃って会食をしている中、孫たちがウォルト邸の地下室で界隈を物色していると大きな箱の中から1952年当時のウォルトの朝鮮戦争時代の写真と勲章を見つけた。するとそこにウォルトが椅子を取りにやってきた。孫たちはあわてて箱のふたを閉めたたが孫たちが何かを物色している様子を感じたウォルトは言葉も掛けず不機嫌そうな顔をし椅子を抱え地下室から出て行った。また一方では“ヘソ出し”の孫娘カレンがガレージで煙草を吸っていると半分シートをかぶったビンテージカーに気付いた。ウォルトの愛車1972年製のグラン・トリノである。そこにウォルト現れた。カレンはとっさに煙草を投げ捨て「おじいちゃんこんな凄い車いつ買ったの?」と媚を売るも「1972年だ」とそっけない返事をしカレンが捨てた煙草を足で踏み消した。このようにウォルトは孫たちに対し慈しみをもって接しようとはしなかった。

ある日、隣りに住むモン族のタオ(ビー・ヴァン)がウォルトにジャンプケーブルを借りに行くと「そんなもの持ってない!礼儀をわきまえろ。うちは喪中だ」と一蹴し取り合おうとしなかった。このようにウォルトは身内のみならず、近隣にとっても、近寄り難い存在であった。ウォルトがこんな意固地な性分になってしまったのは朝鮮戦争で17歳の少年を銃剣で殺してしまった自責の念に呵責まれていたからである。

ある日タオが自宅で庭の手入れをしているとモン族のギャングたちが現れ仲間になれと強要しタオを誘い入れウォルトの愛車であるグラン・トリノを盗めとタオをけしかける。逆らうことが出来ないタオは言われるままガレージに忍び込んだ。物音に気付き誰かが車を盗みに来たと察したウォルトは銃を片手にガレージへ向かい銃を構えるがウォルトが足元につまずき倒れ込んだため、タオは間一髪のところで逃れた。辺りが暗かったため盗人がタオであることはウォルトは気付いていなかった。

車を盗み損ねたタオだったがそれから彼のもとへ更に悪事に手を染めさせようとモン族のギャングたちは頻繁に姿を現すようになる。ある晩無理やりタオを連れ出そうとモン族のギャングたちと庭でもみ合っていると自分の庭にまで入り込んで騒ぎを起こしているギャングたちに我慢しきれなくなったウォルトが銃をかまえ家から出てきた。ギャングたちに少しも怯む様子をみせず「俺の芝生から出て行け」と銃を構え威嚇した。ウォルトの威勢に観念したギャングたちは「覚えとけよ。この借りは返すからな」といって引き退がった。タオの姉スー(アーニー・ハー)がウォルトに「タオを助けてくれてありがとう」と礼をいったがウォルトはまたもや「俺の芝生から出て行け」と言い放ち家の中に戻った。相変わらずの意固地ぶりである。

翌日ウォルトが家にいると玄関先で何やら物音がした。ドアを開けると食べ物などが玄関先に届けられていた。タオの家族や親族たちがタオを助けたウォルトを英雄視し、お礼として頻繁に貢物を届けるようになっていたのだ。そんな一家にウォルトは「助けたつもりはない。ただ自分の庭からゴロツキどもを追い出しただけだ」とつれない態度で一家をあしらおうとした。するとタオが「車を盗もうとしたのは自分だ」とウォルトに打ち明けた。怒りを隠しきれないウォルトは「もう一度偲びこんだら命はないぞ」と警告した。

それから数日後、タオの姉スーがボーイフレンドのトレイ(スコット・イーストウッド)と街を歩いていると3人の黒人の不良たちが絡んできた。トレイはスーを辱めようとからかう不良たちからスーを助け守ろうともしない臆病者だった。そこに偶然ウォルトが車で通りかかる。ウォルトはスーを助け不良たちを蹴散らした。ウォルトは悪さをする不良たちは元より、スーを助けようとしなかった臆病者のトレイに腹が立った。スーを車に乗せたウォルトは「あんなヘナちょこのボーイフレンドはやめとけ」と苦言した。

ある日ウォルトが自宅のポーチでくつろいでいると向かいの家の主婦が車から大量の荷物に手をやき困っている光景を目にした。そこに3人の若者が通りかかるが誰一人手を貸す者がいない様子にウォルトは失望する。しかしそこに一人の青年が現れた。タオである。タオは「大丈夫ですか。手伝いますよ」といって散らばった荷物を拾い荷物を運んでやった。それを見ていたウォルトは感心した。

数日後、ウォルトが自宅のポーチで缶ビールを飲んでいるとそこにスーが現れた。一人淋しく飲んでいるウォルトに「家でバーベキューをやるから来ない」と誘った。ウォルトは「ここで飲んでいる方がいい」と断ったが丁度クーラーボックスのビールが底をついたためスーの好意を受けた。招かれたウォルトはモン族の習慣や文化の違いに少し戸惑ったがすぐに彼らと打ち解けることが出来た。おしゃべりに花を咲かせているとスーは地下室にウォルトを誘った。そこにでは若者たちだけのパーティーが行われていた。当然そこにはタオもいた。スーがウォルトに「私の弟よ」とタオを指さすとウォルトは「グラントリノを盗み損ねた“トロ助”だ」と侮った。内気なタオは仲間たちに馴染め切れておらず一人ぽつんと孤立していた。ウォルトはタオに車を盗み損ねた間抜けさを引合いにだし、女友達とも口をきけないほどの不甲斐なさを叱咤した。以来、ウォルトはタオを“トロ助”と呼ぶようになる。

ある日タオとスーたちがウォルトの帰りを玄関先で待っていた。ウォルトが「どうした?」と事情を聴くとスーが「タオに車を盗もうとした償いをさせて欲しい」と申し入れた。一旦は申し入れを断ったウォルトであったが強引な申し出にさすがのウォルトも押し通されてしまった。翌日からタオはウォルトの家で奉公をする事になるがこの日を機にウォルトはタオを一人前の男に仕込んでいく。

グラン・トリノのレビュー・感想

老いても凛々しいクリント・イーストウッド

マディソン郡の橋”あたりから少しずつ老け込みをみせ始めたクリント・イーストウッドですが、特にこのグラントリノあたりからはかつての若かりし頃のイーストウッドのイメージとはまるで別人のようです。

でも生まれながらの上背で背筋をピント伸ばした雄々しい姿はやはりシャレているし、もし自分がその歳になったらあんな風に振る舞えるかといえばかなり疑問。イーストウッドはこのグラントリノから10年後に撮影された「運び屋」でも更に老いた主人公を演じていますが、同じ“老人役”でもグラントリノと運び屋では全くタイプが違い、グラントリノでは内向的で頑固な役柄、運び屋では外交的でコミニュケーションに長けた犯罪者役。

僕としてはやはりイーストウッドといえば口数が少なく、少し内向的なほうがイーストウッドらしくて個人的には好きですね。この映画の主役はもちろんクリント・イーストウッドなんですが、他のキャストはほとんど無名の役者さん。そんな状況でもこんなに感慨深い映画になっちゃうっていうところがクリント・イーストウッドの凄さというか、ど偉いオーラを感じます。

遠い親戚より近くの他人

グラン・トリノの感想ですが朝鮮戦争のトラウマから意固地な性分が形成された人物という設定になっていますが、それだけでなくウォルトの生まれ持った性格が多分に影響しているのだと思います。ウォルトと息子たちとの年齢的な環境が丁度僕の境遇にマッチしていて色々と考えさせられる場面も多かったんですが、少なくとも互いに理解し合おうとする努力が欲しかったですね。

ウォルトがタオを一人前の男にしようと奉公させていくうちにタオを認め始めたのはタオの実直さもあるのでしょうが自分の子供たちとの距離というか心の隙間をタオという青年を重ね合わせることで充たしたかったのではないかと思います。

よく「遠い親戚より近くの他人」って言いますが、本来このウォルトという老いた者の心に、子供や孫たちが寄り添うべきだったのでしょうけれど、結果的にこのタオという青年がウォルトに手を差し伸べ救い手となったわけです。

ウォルトの身体を病が蝕み始め吐血した時に、ウォルトがほんの少し憶病になり子供たちに電話を入れるシーンがありましたが、これこそが親子の自然な姿のはず。しかし結局親身に理解しようとしたのはタオという他人だったというところが少し悲しいです。

ウォルトが死に、愛車グラン・トリノを誰に相続するかという遺言書が読み上げられる場面で「愛車グラン・トリノをタオに譲る」と聞かされた時の孫娘カレンのがっかりした顔がとても印象的です。まさに「遠い親戚より近くの他人」の象徴を見せられた感じです。

「獅子はわが子を千尋の谷に落とす」

黒人に絡まれ怖気付く意気地のないトレイ役を演じたのがクリント・イーストウッドの息子スコット・イーストウッド。  後にも先にも彼が出てくるのはこの絡まれるシーンのみ。

「父クリントよ、もう少しましな役で出演させてやっもいいんじゃないの?」って思ったりもするけれど、でも逆にそれがクリントの愛情というか、息子だからといって決して甘やかさない、まさに「獅子はわが子を千尋の谷に落とす」っていう事なんでしょう。

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