クロッシング・ガード

子供に先立たれた親の気持ちをどう受け止めたらいいのかを深く考えさせられる映画

1995年製作  アメリカ  111分

監督

ショーン・ペン

キャスト

ジャック・ニコルソン  デヴィッド・モース   ロビン・ライト   アンジェリカ・ヒューストン   パイパー・ローリー   ロビー・ロバートソン   ジョン・サヴェージ

撮影ロケーション・情景

ロサンゼルス  刑務所  グループセラピー  セメタリー(霊園)

クロッシング・ガードのあらすじ

愛娘を失い喪失した日々を送る父フレディ

とあるグループセラピーに集う人々の中にひっそりと佇む男と女。男の名はフレディ・ゲイル(ジャック・ニコルソン)女の名はメアリー・マニング(アンジェリカ・ヒューストン)である。二人は6年前に交通事故に巻き込まれこの世を去ったエミリーの父と母。

エミリーは飲酒運転をしたジョン(デヴィッド・モース)の車にはねられ、わずか7年という短い生涯を閉じた。父親フレディは愛娘を失った絶望から立ち直れず、ジョンへの復讐だけを心に秘め、喪失した日々を送っていた。一方ジョンは心の傷が癒えぬまま6年の刑期を終え3日後に出所する。

加害者ジョンへの復讐

出所を迎えた当日、ジョンは迎えに来た父母の車に乗り刑務所を後にする。殺意に燃えジョンの出所を指折り数え待ち望んでいたフレディは、ジョンの眠るトレーラーハウスに忍び込み、ジョンとの対面を果たす。フレディはジョンに銃を向け引き金を引くが弾が入っておらず未遂に終わった。

そんなフレディに対しジョンは沈着冷静な態度で語り始めた。自分の命に代えてでもエミリーを救ってやりたかったこと、一生許してはもらえないほどの罪を犯してしまったことの後悔をフレディに淡々と語り、復讐を考え直すようフレディを諭した。

フレディは「お前に俺の気持ちが解るはずがない」と啖呵を切り「3日後にまた来るから覚悟しておけ」と言い残しその場を去った。フレディは街で仲睦ましい親子を見かけると更にジョンに対し憎悪を深め、一方のジョンは良心の呵責に苛まれながら日々を送る。

そして72時間が経過しジョンを殺めようと心に決めていた3日目の夜、フレディは別れた元妻メアリーを呼び出し何かを告げようとしていた。フレディが口火を切る前にメアリーが話し始めた。それはフレディに対しての愛だった。フレディもそれを真摯に受け止めメアリーを讃えた。しかしフレディの言葉の端々にジョンへの復讐が示唆されたためメアリーはフレディを窘めるが、フレディは突然豹変しメアリーに罵声をあびせた。愛想をつかしたメアリーは席を立ち店を出た。

 

フレディとジョン壮絶な追跡劇

フレディはそこから車を運転しジョンのところに向おうとするが、蛇行運転をしたことでパトカーに止められる。フレディは酒に酔っていた。警官がフレディを逮捕しようとした一瞬をついてフレディは逃亡した。警察のヘリコプターのサーチライトを掻い潜り、フレディはジョンの家の敷地に潜り込んだ。しかしそこには銃を構えたジョンがフレディに銃口を向け待っていた。フレディがすかさず銃を構えるとジョンは銃を捨て走り出す。ジョンを追うフレディ。そこから二人の壮絶な追跡劇が始まるが、ジョンはフレディをどこかに誘おうとするかのように執拗に走り続けた。

丘を駆け上がるとジョンは立ち止まり突然その場にひざまずいた。  一体どうした事かと言わんばかりの顔をするフレディ。何とジョンがひざまずくその場所はエミリーが眠る墓だった。フレディはエミリーを失った当時、絶望から意固地になりエミリーの葬式すら顔を出しておらず状況を把握していなかった。

ひざまずくジョンは墓下に眠るエミリーに向って泣きながら「パパが来たよ。パパを救ってやって欲しい」と告げる。墓の場所、墓石の色、何一つ知ろうとしなかったフレディはその瞬間我に返り、そっとジョンに手を差し延べ涙を流した。

 

クロッシング・ガードのレビュー・感想

親として同じ境遇にあった場合、どう受け止めたらいいのかを考えさせられる映画

このクロッシング・ガードという作品は、誰が観るのかによってだいぶ感想が違ってくるように思います。決して差別発言として取らないで欲しいのですが、子供や家族を持った事がない人と、既に家族があり、同じような娘を持つ父親が観た場合とでは、おのずと感じ方も違ってくるはず。

子供に先立たれたフレディの気持ちというのは実際に当事者になってみなければ分らない部分はいっぱいあるんだろうと思う。加害者を殺めたところでエミリーは帰ってこないし、そんなことはエミリーだって望まないはず。しかしそうは分かっていながらも、子供の仇を打ちたいと思うフレディの気持ちはよく分かります。

この映画の観どころは、やはりジョンがフレディを霊園に誘い「パパが来たよ。パパを救ってやって欲しい」と告げる場面ですね。フレディも苦しんでいたけれどジョンも同じように苦しんでいた。このフレディを自分に置き換えて考えてみると、ジョンの苦悩もさることながら、自分のこれまでの愚かさを痛切に感じ、同じ娘を持つ立場の僕としては涙が止まりませんでした。エミリーの眠る場所すら知らないでいたフレディがエミリーの墓石を見て「墓石の色はピンクだったのか」と少しばかりの安堵を見せるるシーンはとても印象的です。

人は死というものを受け入れられないうちは、何をしでかすかわからない。でも自分なりに死というものを受け入れる事ができた時に、本来の自分の素直さを取り戻せるんだということを教えられたような気がします。もし自分の子供が同じような状況になったとしたなら親としてどう受け止めたらいいのか深く考えさせられる映画です。

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