伝説のロックバンドクイーンの奇跡を綴る物語
2018年製作 イギリス・アメリカ 134分
監督
ブライアン・シンガー
キャスト
ラミ・マレック ルーシー・ボイントン グウィリム・リー ベン・ハーディ ジョゼフ・マゼロ エイダン・ギレン アレン・リーチ トム・ホランダー
撮影ロケーション・情景
HIV ロンドン コンサート ロックバンド 大邸宅 バイセクシャル ロールス・ロイス アメリカ中西部
VIDEO
ボヘミアン・ラプソディのあらすじ
1970年代初頭のロンドン。ペルシャ系移民族出身のファルーク・バルサラ(ラミ・マレック)は、ヒースロー空港で働く傍ら、音楽の夢を捨てきれずスマイルというバンドのライブに足を運んでいた。その日ライブを終えたスマイルのボーカルがバンドの将来性を懸念してバンドのメンバーに脱退を申し出る。丁度その様子を見ていたバルサラは自分こそスマイルにふさわしいボーカルである事を猛アピールし、その場でメンバーたちに歌声を披露し、スマイルの新しいボーカリストとして加入する事になる。このバルサラこそ、後のクイーンを支えるフレディマーキュリーである。
バルサラはゾロアスター教徒の環境下の家庭で育ち、厳格な父とそりがあわず、自分のルーツをたどりフレディという名前に改姓する。その頃フレディはお洒落な人気ブティック「BIBA」の店員メアリー・オースティン(ルーシー・ボイントン)と知り合い、恋へと進展させていく。
マイクスタンドのハプニングから生まれたフレディのマイクスタイル
新たにベーシストとしてジョン・ディーコン(ジョゼフ・マゼロ)が加わりライブを再開するが、観客がフレディに向かい“パキ野郎”とヤジをとばす。しかしフレディは目もくれず「Keep Yourself Alive」を歌いきった。そのライブの最中にマイクスタンドの台座から先端部分が外れるというハプニングがあったが、フレディはそれを気に入り、フレディのマイクスタイルとしてその後定着する。
それから一年後、スマイルは女王陛下を崇めバンド名をクイーンに変更する。そしてそれを機にフレディはメンバーにワゴン車を売却してアルバムの自主制作をしようと持ちかける。フレディは録音に関しても細かな拘りをもち、アルバム作りのクオリティさを追及した。
フレディは常に音楽の可能性を心に秘め、常に傍にいるメアリーに対して「楽をさせてやる」が口癖だった。フレディとメアリーは互いの家族に紹介するほどの仲になっていた。そこでメアリーはフレディの家族から彼の素性を聞かされる。彼の父母はバルサラからマーキュリーに改姓したのは芸名のためと思っていたのだが、フレディはそうでなくパスポートも含め正式に改名した事を告げる。厳格な両親はそんなフレディに失望し「名を変え別人になっても無駄だぞ」と叱った。
エルトンジョンのマネージャーからオファーが
丁度その時フレディに一本の電話が入る。以前の彼らのレコーディングを見たEMIのエルトンジョンのマネージャーJリード(エイダン・ギレン)からで、実はフレディはこっそりリードに渡していたデモテープを聴いて彼らへオファーをしたのである。彼らは信じられないという様子で歓喜に満ちた。
数日後バンドのメンバーはリードに会う。リードは彼らを才能があると評価し、中でもフレディに特に興味を示した。リードが「他のバンドと違う所は?」とメンバーに聞くが誰も答えられないでいる中、フレディが口火を切り、自分たちの考えや音楽家としての役割を坦々と語った。リードはその場で今後のマネージャーとなるポール・プレンター (アレン・リーチ)を紹介した。リードは彼らに今後の可能性を示唆するが、フレディはそれでは満足しないと言い放った。
それから数日後クイーンはトップ・オブ・ザ・ポップスに出演するが、放送局であるBBCの方針で収録済みの音楽をクチパクでやれと命令され理不尽さから抗議するも受け入れてもらえず仕方なしに承諾した。やがて音楽活動が軌道に乗り出すとフレディはメアリーにプロポーズする。フレディはこの時メアリーに指輪を渡すが「何があっても指輪を外さないでほしい」とメアリーに約束させた。そしてフレディとメアリーが愛を語っている最中、他のメンバーたちが部屋に入ってきて次なるツアーの決定を知らせた。アメリカツアーである。
EMIレコードの重役レイ・フォスターとの確執
彼らクイーンはアメリカでも大人気だった。米国ツアーから戻った彼らはEMIレコードの重役レイ・フォスター(マイク・マイヤーズ)らと会い、レイから彼らのヒット曲「キラー・クイーン」のような路線で新たな楽曲を作るよう指示するが、二番煎じの曲など作れないと彼らは反発した。そしてフレディはキラー・クイーンを越える曲がこれだと言わんばかりにその場でオペラをレイに聴かせ「オペラ座の夜」にしようと呈するがオペラなどヒットするはずがないとレイは難色を示すも、周囲に押し切られ仕方なく承諾した。
ボヘミアン・ラプソディを酷評するレイ
1975年ロック・フィールド農場。マネージャーのポールはあらゆる雑念を取り払いレコーディングに集中できる場所としてこの農場を選んだ。フレディはここでボヘミアン・ラプソディを書き上げた。後日この曲のレコーデイングに入るがフレディはオペラパート(声分)を入れようとメンバーに提案した。
その後彼らは「オペラ座の夜」を完成させ、得意満面にレイに聴かせボヘミアンをシングルカットすると申し述べた。しかしボヘミアン・ラプソディを聴いたレイは「6分もの時間を要する曲はラジオでかけてもらえない」と容認せず、3分以内の曲をシングルカットするようメンバーを諭し、ボヘミアン・ラプソディを酷評した。しかし彼らは譲らず猛反発し、レイの部屋を出て行った。
レイと訣別した彼らはキャピタルラジオに自ら出演交渉し番組に出演する。そこでボヘミアン・ラプソディが流されクイーンは絶大な人気を博していく。
バイセクシャルであることを打ち明けるフレディ
やがて人気バンドとして世界を飛び回ることになるフレディは少しずつメアリーとの距離が開き始めると、自分はバイセクシャル(両性愛者)であることをメアリー打ち明けた。メアリーは以前からその事を薄々気付いて、フレディに「バイセクシャルではなくあなたはゲイよ」と指摘しフレディと距離を置くようになる。そしてメアリーは他の男性との交際を始める。
1980年フレディは髪をバッサリ切り口に髭を蓄えた。フレディを訪ねたロジャー・テイラー(ベン・ハーディ)にフレディは「似合うか?」と聞くとロジャーは「余計ゲイっぽい」と冷ややかで、食事に誘うフレディを「家族がいるから」と断った。フレディは段々と孤独さを感じはじめていく。
フレディはそんな孤独感から抜け出そうとパーティー三昧の生活を送るが、その狂気ぶりに仲間は呆れた。そんな時期、フレディは執事として雇ったジム・ハットンに恋愛感情を抱くようになるがハットンは「本当の自分を見つけ出すことができたらまた会いましょう」と告げフレディの元を去った。
荒れた生活を送るフレディは練習にも頻繁に遅刻をするようになる。そんな中ギタリストのブライアン・メイ(グウィリム・リーブライアン)がリーダーシップを取り、観客が一緒になって歌えるような新しい曲を作ろうと提案する。
そしてそのスタイルが話題となり、ますます人気を博していくクイーンだったが、バンドとしての人気がいつまで続くか懸念を感じていたマネージャーポールの元にCBSからフレデへのソロデビューの話が持ち上がる。その契約金額は破格のものだった。ある晩ポールとリードが乗る車に同乗していたフレディはJリードからそのことを告げられたフレデだったがバンドを家族のように思うフレディはJリードからソロデビューの打診をされるがフレディは「バンドは家族だ」とリードの話を一蹴し「お前はクビだ」といって車から降ろした。そしてリードを勝手にクビにしたフレディはメンバーとの確執を強めていく。
CBSとのソロアルバムの単独契約したフレディ
1982年マスコミはフレディのセクシュアリティを暴こうと騒ぎ始める。容赦ないマスコミの質問に責め立てられるフレディは彼らと対立し精神的に追い詰められていく。半ば鬱になっていたフレディはツアーとレコーディングの繰り返しに嫌気がさし、400万ドルでCBSとのソロアルバムの単独契約した旨をメンバーに告げるとそれが引き金となりメンバーと完全に仲間割れしてしまう。フレディはソロ活動を始めるが周りの仲間たちとの感性が合わなかった。そんな中新たなマネージャーとなったジム・ビーチ(トム・ホランダー)はポールにチャリティーイベントである「ライヴエイド」の話をポールを通じフレディに伝えようとするが「彼は今忙しい」とポールは取り次がなかった。そんな事は知らないフレディはソロアルバム作成に没頭するが、上手くいかずその歯がゆさから逃れるためにドラッグや酒に溺れ始め徐々に彼の体に病の兆候が見え始める。
やがて連絡がつかないことを不審に思ったメアリーがフレディの元を訪れる。酒やドラックに溺れ荒れた生活を送るフレディはメアリーの訪問を喜び、ライヴエイドのオファーがあった事実をメアリーから聞かされた。バイセクシャルであるものの、メアリーに未練が残るフレディは彼女に「ずっと一緒にいて欲しい」と懇願するが、メアリーから妊娠したことを告げられるとフレディは衝撃を受けた。そしてフレディはその時「ひどいよ」という一言をメアリーに発してしまい彼女は傷つき部屋を出ていった。
雨の降りしきる中車に乗り込もうとするメアリーを追い、我に返ったフレディは「妊娠おめでとう」と言った。メアリーはフレディに「バンドのみんなはあなたの家族よ」と諭し、お金のためだけにフレディに群がるポールたちを非難した。メアリーの言葉をきっかけに自分の利益のためにライヴエイドのオファーを隠していたポールに愛想を尽かせフレディはポールとの訣別を決意する。
クイーンに未練が残るフレディ
数日後フレディはライヴエイドの件でジムに電話するが既に出演者が決まってしまった事を聞かされた。更にはバンドに復帰したいというフレディの熱望に対し、他のメンバーのフレディに対する心の奥底を聞かされた。クイーンに未練のあるフレディは諦められずジムに彼らとの話合いの場を作ってもらえるよう懇願した。
数日後フレディはメンバーたちと会う事になる。フレディに対するわだかまりを隠しきれない彼らではあったがフレディは仲間たちに自身の身勝手さを素直に詫び、今後バンドがもたらす利益を平等に分配する事を彼らに約束し、バンドへの復帰を許された。
4人が揃ったクイーンにジムはある人物のコネを使いライヴエイドに参加できるよう根回しをしていた。しかし何十万もの観衆の中、クイーンとして何年もブランクを作ってしまった彼らはライヴエイドへの参加に難色を示したが、出なかったことに必ず悔いが残ると呈するフレディの意見を尊重しライヴエイドへの参加を決意する。
しかし体調が優れないフレディは日に日に不安に駆られ、自分はエイズではないのかと疑い始める。心配になり病院で検査をするとフレディはHIVに感染していることを聞かされる。愕然とするフレディ。
ライヴエイドまであと一週間と迫ったある日、リハーサルを終えたフレディは仲間に自分がエイズに感染した事を告げる。
メンバーは衝撃を隠しきれなかったがライヴエイドを成功させパフォーマーとして自身の人生を終えたいという彼の想いを理解し尊重した。
そしてライヴエイドの当日を迎えた彼ら4人は約20分のパフォーマンスではあったが群衆を大熱狂させチャリティーイベントとして大きな功績を遺した。
ボヘミアン・ラプソディのレビュー・感想
演者は本人を越えられない
この映画の感想となるとどうしても「映画の感想≒クイーンの感想」になってしまいがちなところがありますが、まずもってフレディを演じたラミ・マレックの役作りに大きな拍手を贈りたいですね。表情の作り方から目の動かし方、顎の閉め方に至るまで、素晴らしいの一言。ただ、そうは言いながらも率直に感じるのは実はどんなに卓越した演技でも演者は本人を越えられない という事。この映画では特にそれを感じますね。
これは最後のライヴエイドのシーンでラミ・マレックと本物のフレディが画面分割で投稿された動画を観るとよく解ります。
もちろんそれはフレディの微妙な動作や部分的な模写の相違を指摘しているのではなく、そこには事実という動かしようのないリアリティ さがあり、フレディというパフォーマーとしての圧倒的なセンスや感性は演技としては到底超える事はできないんだという事。これは本物に対する見方が各々ある以上仕方ない事だと思う。
ブライアン・メイを演じたグウィリム・リーもブライアンと“瓜二つ”であるけれど、単に“似てるね”で終わってしまい、不思議とマレックとフレディのような比較をしようとは思わない。そこがフレディマーキュリーというパフォーマーとしての凄さだと思う。
それとこの映画を観終わって考えさせられたのがライヴエイドの時、フレディはHIVの感染を認識していたのだろうかという点。映画ではHIVの感染を知ってからのライヴエイド出演となっているが、ライヴエイドの開催が1985年7月13日で、HIV検査をフレディが受けたとマスコミが報じたのが1986年10月とある。
ボヘミアン・ラプソディという曲を僕が初めて聞いたのはもう40年以上も前。でもこの曲に綴られた歌詞の意味を、この映画を機に初めて知りました。この曲には“Too late, my time has come~もう手遅れだ、最期の時が来た”や“Body’s aching all the time~体の痛みが消えない” “Goodbye, everybody, I’ve got to go~さよならみんな、もう行かなくては”等と綴られていて、とても謎めいている。
もしあのライヴエイドで、フレディが自分の病を認識していて歌っていたとするなら、いったいどんな想いでこの曲を歌っていたのだろうかと思い巡らせてしまい、フレディマーキュリーの偉大さを一層感じます。
人生には緊張を余儀なくされる事がいっぱいあって、ここぞという時に勇気を奮い立たせなければならない時が度々あるけれど、恐れ知らずの表情で、あのライヴエイドに立ったフレディの勇姿に僕はいつも勇気をもらっています。