ハドソン川の奇跡

コンピューター頭脳VSサリー機長の経験知

2016年製作  アメリカ  96分

監督

クリント・イーストウッド

キャスト

トム・ハンクス アーロン・エッカート ローラ・リニー マイク・オマリー

撮影ロケーション・情景

ニューヨークマンハッタン ハドソン川 USエアウェイズ 航空機事故 国家運輸安全委員会

ハドソン川の奇跡のあらすじ

とあるホテルの一室で悪夢にうなされ目を覚ます男がいた。その男はアメリカ合衆国の航空会社USエアウェイズの機長チェスリー・サレンバーガー(通称サリー)(トム・ハンクス)であった。

彼が見たその夢とは自身の操縦する航空機がコントロールを失い、マンハッタンの街中に墜落してしまうという恐ろしい夢だった。彼がなぜこんな夢を見たのかというと、遡る事数日前の2009 年1月15日USエアウェイズ1549便を操縦していたサリーと副操縦士のジェフ・スカイルズ(アーロン・エッカート)はニューヨークのマンハッタン上空でバードストライクに遭い全エンジン停止という非常事態に見舞われた。

必死に機体の立て直しをするサリーとスカイルズだったが上手くいかず、苦渋の決断を迫られたサリーは機体をハドソン川に不時着水させた。その結果、幸いにも一人の犠牲者を出すこともなく乗組員全員を無事救助させる事に成功した。後にこの奇跡的な出来事は「ハドソン川の奇跡」として全世界に伝えられ、機長サリーと副操縦士スカイルズたちはたちまち国民的英雄と称えられた。

しかし、一方では国家運輸安全委員会 (NTSB)が不時着水ではなく「墜落」とい観点で事故調査を行っており「ラガーディァ空港に引き返す」と交信していたサリーらに対し、なぜハドソン川に不時着水させたのか、空港へ引き返し着陸させる事は可能だったはずとの見解を示し彼らを厳しく追及していた。不時着水の決断を行った機長サリーは自身の下した判断の葛藤に苦しみ、夢に魘されるほど精神的に追い詰められていたからである。

サリーとスカイルズは事故調査が済むまでホテルでの待機を命じられ、家族と会う事も許されなかった。そして国家運輸安全委員会がこの「事故」の検証を行ってきた終盤、サリーとスカイルズは公聴会によばれコンピューターと操縦士両方によるシュミレーションが行われた。

結果、どちらのシュミレーションでもラガーディア空港・テターボロ空港のどちらの空港にも無事に着陸できることが証明され、ハドソン川に不時着水させるというリスクを冒す必要はなかったと結論付けられてしまう。ところがサリーはこのシュミレーションに対しある重要な点が見落とされていると指摘。それは「人間心理がもたらす人的要因が考慮されていない」という点であった。まさに経験豊富なベテランパイロットならではの目のつけ所である。

それによりシミュレーションは仕切り直しされ、今度は人的要因を加味したシュミレーションがおこなわれた。その結果、国家運輸安全委員たちの度肝を抜く恐ろしい結果が示された。

ハドソン川の奇跡のレビュー・感想

コンピューター頭脳VSサリー機長の経験知

この映画の観どころはやはり国家運輸安全委員会による公聴会の席上で、コンピューターシュミレーションに理路整然と立ち向かうサリー機長の姿でしょう。

社会人として働いていれば時には失敗やしくじりを起こし、大打撃を被ることがあります。クライアントからのクレームも然りです。しかしその失敗がなぜ起きたのか、同じ過ちを二度と繰り返さないようにするにはどうすればいいのか、その都度検証や議論がなされ改善が図られていくわけですが、特にこの航空業界の場合、機関による事故調査の進め方は非常に科学的で他の産業のそれとは一線を画しているように強く感じます。まあ、それくらいはやってもらわないと些細なミスひとつで多くの人命を一瞬で奪う事になるわけですから当たり前といえば当たり前なのでしょうが。

近年はあらゆる面でコンピューターを使い、答えを出させ、物事を解決しようとする風潮が強いですが、コンピューターに情報を促すのはあくまでも「人」です。(基本的に)

データが間違っていたり、それに不足が生じたりすればコンピューターとて正しい答えを見いだしてはくれないという事をこの映画は教えてくれます。

それにしてもあの状況の中、沈着冷静な対応と、高大な判断を下したサリー機長の頭脳と経験知には只々頭が下がります。何にしろ、これが作り話ではなく実際にあった実話なのですから。

また、この手の実話映画では、本編最後に主人公当人の映像がよく描写されたりしますが、この映画もご多分に漏れず、チェスリー・サレンバーガー機長(サリー)が最後に登場します。それを見た瞬間、「貴方か!こんな凄い事をやったのは!」と思わず叫びたくなりましたね。

またこの映画の監督がクリント・イーストウッドなんですが、この監督、人の感情や気持ちを視覚化する描写テクニックはいつもながら上手いですね。

HACHI 約束の犬

心優しい主人の帰りをひたすら待つハチのいじらしさに只々涙!

2009年 製作 アメリカ  93分

監督

ラッセ・ハルストレム

キャスト

リチャード・ギア ジョーン・アレン サラ・ローマー ケイリー=ヒロユキ・タガワ ジェイソン・アレクサンダー

撮影ロケーション・情景

栃木県足利市の寺(設定は山梨)アメリカ東部郊外 ベッドリッジ駅(架空の駅)

HACHI 約束の犬のあらすじ

日本の映画『ハチ公物語』を現代のアメリカ合衆国東海岸の街に舞台を移して作られたリメイク版。

終末の夜、出張帰りに自宅近くのベッドリッジ駅を降りた大学教授のパーカー(リチャード・ギア)は駅ホーム内で迷う一匹の仔犬(秋田犬)と出遭った。気の優しいパーカーは「どうした?迷ったのか?」と優しく声をかけ仔犬を抱きかかえると、仕事の疲れも見せず飼い主を捜した。しかし辺りを探すも飼い主は現れず、仕方なくパーカーは駅員に「飼い主が現れるまで駅で預かってもらえないかと」頼むが、駅員は「一晩預かって飼い主が現れなければ保健所に引き渡す」と受け答えた。それではあまりにも不憫だと思ったパーカーは仔犬を自宅へ連れて帰る事に。

ところが、パーカーの妻ケイト(ジョーン・アレン)は過去に愛犬を亡くした悲しみのトラウマで「二度と犬は飼わない」とパーカーと約束していた。呵責を感じながら仔犬を抱きかかえケイトに見つからないようそっと家に入るが、やんちゃな仔犬の立ち振る舞いにあっさりとケイトに気付かれてしまう。「飼うつもりね?二度と飼わないって約束したでしょ?」と迫るケイトに「飼い主が見つかるまでだよ。明日朝起きたら飼い主を探すから」とその場を言い逃れ仔犬を外の納屋に寝かしつけた。

翌朝パーカーは仔犬の写真を載せたチラシをケイトに作ってもらい仔犬の里親探しをするが中々見つからず、保健所にも立ち寄って預かってもらおうともするが、保健所の対応は冷たいものだった。それでもパーカーは近所の書店やベッドリッジ駅内にチラシだけでも貼らせてもらえるよう申し入れ、また自身の勤務する大学の授業にも仔犬を連れて行き里親探しを続けた。ある日パーカーは友人である日系アメリカ人のケン(ケイリー=ヒロユキ・タガワ)を訪ね仔犬を見せる。日系人であるケンはこの仔犬が日本犬の秋田犬である事や秋田犬の由来や歴史などにも触れパーカーに情報を授けた。そしてケンは仔犬の首輪についていた漢字の「八」という文字を見つけ日本語で「HACHI(ハチ)」と発音する事をパーカーに教えた。「八」という文字を気に入ったパーカーは仔犬に「ハチ」と名付けた。

相変わらず里親探しを続けるパーカーであったが仔犬に名前を付けたり一緒に寝たり、芸を仕込む様子に妻ケイトは呆れ顔をするが尋常ではないパーカーの溺愛ぶりに根負けしハチを飼う事を容認する。

パーカー家の一員となり時が経つとハチはパーカーの胸元あたりまで足が届くほど大きく成長していた。ある朝パーカーがベッドリッジ駅から職場に向かおうと列車に乗りふと窓外を見ると寂しそうにパーカーの姿を探すハチの姿があった。パーカーはハチに「なぜここにいるんだ。家に帰りなさい」と教えるがハチはパーカーの傍から離れようとしなかった。以来、毎朝パーカーは出勤する時に駅までハチを連れて行き、パーカーがベッドリッジ駅に戻る夕方5時にハチが改札出口で待っているという光景が何年も続いた。ハチはパーカーとの約束を守るかのように雨の日も風の日もパーカーの帰りを待ち続けその光景は近所でも誰もが知る見慣れた風景となっていった。

HACHI 約束の犬のレビュー・感想

愛犬者は幻影を追う

実は僕も犬を飼っているのですが、何を隠そう、この映画がきっかけで犬を飼う事を決心しました。それくらいこの映画に登場するハチ(秋田犬)は愛々しいです。不思議なのですがこの映画を観ているとハチと僕の飼っている犬とをどうしても重なり合わせ見てしまうんですね。そう、オーバーラップというやつです。

しかし、ハチは口元がスッと長い秋田犬。僕の飼っている犬はハチとは似ても似つかぬペシャンコ顔でブサカワ系のシーズー。顔も体格も全く違うのにどうしても重ね合わせて観てしまう。これは犬の姿を見る見方が、単に顔や姿というより、人格(犬格?)としての幻影を追っているからなのでしょう。

またこのハチが、なぜ日本からアメリカに渡ってきたのかという理由がストーリーの中になく、はじめは「不親切だなあ」なんて思ったりもしたのですが、そこはこの映画の脚本家さんの才腕なのでしょう。かえってそれがハチの薄淋しさを醸し出し、可愛いさを助長させています。

パーカーの優しさとパーカーの帰りをひたすら待つハチのいじらしさ

このパーカーという人の優しさはハチと出遭った冒頭の場面での「どうした?迷ったのか?」という言葉に溢れています。まあ、根っからの優しい人がこういう可愛いい仔犬を拾えば当然こうなるんでしょうが、見知らぬ駅で迷い犬となってしまった不憫なハチがパーカーみたいな優しい人に出会えたことに本当に嬉しく思えてきます。

犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ」という諺もありますが、たくましく成長する事で立派にハチは恩を返していますね。終盤、大好きなパーカーを雨の日も雪の日も実直に待ち続けるハチの姿を見つけたケイトが「私も一緒に待たせて!」とハチに言葉をかけるシーンにはただただ涙です。

ミッドナイトラン

親娘の再会。互いの記憶に残るそれぞれの面影

1988年製作  アメリカ  126分

監督

マーティン・ブレスト

キャスト

ロバート・デ・ニーロ チャールズ・グローディン デニス・ファリナ ジョー・パントリアーノ

撮影ロケーション・情景

ロサンゼルス 保釈金融会社 ニューヨーク FBI アムトラック(Amtrak) オハイオ州 シカゴ アイダホ州ボイシ ラスベガス アリゾナ州 ネイティブ・アメリカン(インディアン) マッカラン国際空港(ネバダ州)

ミッドナイトランのあらすじ

シカゴ市警察の元刑事ジャック・ウォルシュ( ロバート・デ・ニーロ)は 保釈後逃亡を謀った犯罪者たちを裁判までに捕えて連行する「賞金稼ぎ」を生業としていた。ある日ウォルシュは、シカゴのヘロイン組織の金を慈善事業に寄付し、ボスのジミー・セラノ(デニス・ファリナ)から命をを狙われている会計士のジョナサン・マデューカス(通称デューク)(チャールズ・グローディン)の身柄をギャングたちに殺害される前に捕え護送するよう保釈金融資会社から指示を受ける。

引き渡し期限は公判が始まるまでの5日間でロサンゼルスまで連れて行くというもの。このデュークという男はセラノの金を慈善事業に寄付した後、セラノに「楽しく暮らしている」という挑発めいた手紙をわざわざ送りつけるというバカで変わり者。ニューヨークでデュークを見つけ捕えたウォルシュは飛行機でロスまで連れて行こうとするが「飛行恐怖症だから飛行機には乗れない」というデュークのとぼけたウソに騙され、ロスまでを陸路で向かう事になる。しかしロスまでの道のりは平坦なものではなく、車、列車、バスを乗り継ぎ、ロスまで行動を共にするが、二人は想定外の行動をとるため彼らを追うマフィア、FBI、また別の賞金稼ぎたちを混乱させていく。

デュークは護送の途中、幾度となくウォルシュから逃れようとするがウォルシュも力づくでそれを抑えようとする。しかし、そんな二人はいつしか行動を共にしていくことで少しずつ心が通い合っていく。日本であまりなじみのない「賞金稼ぎ」という職業。そもそもシカゴ市警察の刑事だったウォルシュが、なぜ刑事を辞め賞金稼ぎに身を転じたのか、そこにはギャングのボス、セラノの存在が大きく関わっていた。

ミッドナイトランのレビュー・感想

アメリカの司法制度

「賞金稼ぎ」という職業はあまり日本では聞かれない言葉ですがウォルシュがそれを生業とする設定になっているためアメリカ独特の司法制度の在り方がよく描かれていると思います。この制度を理解してから本編をご覧になった方がある意味見やすいと思いますので賞金稼ぎとアメリカの司法制度の関係について少しだけ触れておきます。

アメリカという国は国土面積が日本の約25倍、人口は日本の約2.6倍というとてつもない大国。人口が多いという事は単純に考えるとそれだけ犯罪者も多く、すべての犯罪者を留置所で拘束するとなるとキャパシティに限界があります。そのため一旦取り調べを終えると早々に保釈をさせざるを得なくなるわけですが保釈するとなるとそこで危惧されるのが犯罪者の逃亡です。

そこで裁判所は犯罪者を逃亡をさせないために保釈金を支払わせるわけですが、保釈金を都合できない人のために保釈保証業者(保釈金を融資する会社)が存在します。犯罪者はそこでお金を借りて保釈金を裁判所に支払い保釈が認められるという流れになります。

ただ保釈された犯罪者が万が一逃亡を謀った場合、ある期日内までに裁判所に犯罪者が出頭しなければその保釈金は裁判所に没収され、お金を融資した保釈保証業者は大損害となってしまいます。そこで保釈保証業者は期日内に逃亡した犯罪者を裁判所に引き渡すために「賞金稼ぎ」というプロを雇い融資したお金の回収をするわけです。

その辺りの事情を、「何が何でも容疑者を連れ戻せ」という保釈保証業者の必死ぶりをボスのエディ(ジョー・パントリアーノ)がリアルに演じています。

親娘の再会。互いの記憶に残るそれぞれの面影を辿っていく様子

またウォルシュはシカゴ市警察を去る時、致し方のない条件を突きつけられ家族と生き別れてしまうのですが、護送の途中、お金に困ったウォルシュがシカゴ郊外に住む元妻を訪ね金の無心をするんですね。元妻に「金を貸してくれ」と頼む事はウォルシュからすればとても恥ずべき事であったと思うしに、さぞかし不本意であったと思います。

お金を「貸せ!」「貸せない!」とウォルシュと元妻が押し問答をしている時、成長した愛娘デニースが奥の部屋からそっと表れるのですが、長年会っていなかった親娘が再会し、互いの記憶に残るそれぞれの面影を辿っていく様子には涙がでます。

今では別の家庭に収まっている元妻は慈悲の心も相まって最後には40ドルというわずかなお金と自分の愛車を差し出しこの場を治めようとしますが、デニースも子守で貯めたわずかなお金をウォルシュに差し出します。しかしいくらお金に困っているウォルシュでも、さすがに娘からは受け取ることができず「気持ちだけでいい」と断るのですが、この気持ち痛いほどよくわかります。これ以上自分を地に堕としたくなかったのでしょうし、父親としての虚勢もあるでしょう。

借りた車に乗りウォルシュはデニースの元を去っていきますが、互いに手を振る二人の淋しそうな様子は、やっと再会できた実の親子が再び現実に引き戻される残酷なシーンです。血のつながった親娘が一緒に暮らすことが出来ない理不尽さに「なんとかならないの?!この親娘」と思わず叫びたくなります。

世の中の夫婦が様々な理由で離婚し、一家離散という話もよくありますが、どんな理由があるにせよ後悔しないよう慎重に決断するべきでしょう。いつもそこで犠牲になるのは全く悪のない子供たちですから。(これ自分に言い聞かせてます)

天使のくれた時間

過去恋愛の回想をミステリアスに描いた“もしも世界”

2000年製作 アメリカ 125分

監督

ブレット・ラトナー

キャスト

ニコラス・ケイジ ティア・レオーニ ドン・チードル ジェレミー・ピヴェン ケイト・ウォルシュ

撮影ロケーション・情景

ニューヨークウォール街 会社社長 クリスマス フェラーリオーナー タワーマンション アメリカのデパート タイヤショップ 空港

天使のくれた時間のあらすじ

1987年 バークレー銀行の研修を受けるためにパンアメリカン航空ロンドン行き2便を搭乗ゲートで待つジャック(ニコラス・ケイジ)を見送りに来ていた彼の恋人ケイト(ティア・レオーニ)は「いやな予感がする ロンドンには行かないで」と彼のロンドン行を止める。しかし彼は「将来の二人の幸せのためだ」と彼女の言葉を振り切りロンドンに旅立ってしまう。

それから13年後、ジャックはニューヨークウォール街で大手金融会社の社長として成功し、マンハッタンのタワーマンションの最上階に住むなど、何不自由無い人生を歩んでいた。そんなジャックはクリスマスイブの夜、仕事帰りに立ち寄ったコンビニで宝くじの換金に難癖をつけ店員に銃を突きつける黒人青年キャッシュ(ドン・チードル)に遭遇する。ジャックは何とかその場を収め、キャッシュを外に連れ出し「まともな人生を歩め」とキャッシュを救おうと諭す。「ちゃんと働けば欲しいものが何でも手に入るぞ」というジャックの言葉にキャッシュは「なら、お前は何が必要なんだ」と切り替えし、「僕は何でも持っている」とジャックは言い放ち家路に向かう。

タワーマンションに帰ったジャックは眠りに就くが翌朝目が覚めるとそこには13年前に別れたはずのケイトと2人の子供の姿があった。そしてそれは自分の送っているゴージャスな生活とはかけ離れた何とも庶民的な世界だった。

天使のくれた時間のレビュー・感想

過去恋愛の回想

ネタバレになってしまいますが、ジャックが目を覚ました世界とは、もし自分がロンドン研修に行かず、あのままケイトと結婚していたらどんな生活を送っていたのかという一抹の懸念が「もしも世界」として夢となり描写されたもの。その点から言えば本来の社長として成功しているジャックの姿と、庶民的ではあるが家族に囲まれそこそこ幸せな人生を送る「もしもジャック」の生活感のギャップがリアルで凄く分かりやすいです。

誰でも一度は過去の恋愛を回想し、「あのまま続いていたら・・・」と「もしも世界」に想いを巡らせる人も多いでしょう。その先の答えは誰にもわからない、そんな答えの曖昧さにときめきを感じる部分もあれば、逆に未知の怖さを感じる部分もある。そこが人生のミステリアスなところなんでしょうね。

しかしどんな選択をしたとしても、「自分の選んだ今の人生を後悔しないよう最善を尽くす」これに尽きると思います。過去の恋愛の回想は悪い事ではないけれど、それを引きずる事は悪だと思います。何のメリットも生まれませんからね。

この映画は本当の幸福とは何か?家族とは何か?恋愛とは何か?をセオリーとしてではなく、あくまでも映画を観た人たち各々が自分で答えを見いだせるよう投げかけてくれます。

ティア・レオーニがキュート

そして、見どころのもう一つはケイト(ティア・レオーニ)が半端なくキュートでセクシーな事。はなから美人の女優さんですがメイクアップアーティストさんの仕事ぶりの凄さを感じます。若き時代を演じるケイト、家事育児に追われる母親としての顔を持つケイト、そして独身のやり手弁護士で上品なキャリヤウーマンを演じるケイト。これをリアルに醸しだしているあたりが上手ですね。

大災難P.T.A.

友情は何にも勝るという事を痛感させられる作品

1987年製作 アメリカ 92分

監督

ジョン・ヒューズ

キャスト

スティーヴ・マーティン ジョン・キャンディ ケヴィン・ベーコン ディラン・ベイカー

撮影ロケーション・情景

ニューヨークマンハッタン シカゴオヘア空港 シカゴ郊外 カンザス州ウィチタ ミズーリ州セントルイス アメリカのモーテル アメリカ感謝祭祝日

大災難P.T.A.のあらすじ

マーケティングの仕事に携わるニール(スティーヴ・マーティン)は化粧品の宣伝ポスターのプレゼンを行うためニューヨークにいた。しかし宣伝ポスター1枚に2時間費やしても決断を下せないクライアントにニールはイラつく。なぜならシカゴの自宅に9時までに帰りたいニールは6時発の飛行機に乗らなければならず、便に間に合わなくなるのではと気が気ではないからだ。

ポスター採用の承認を保留にされたまま会議室を後にしたニールは空港までのタクシーを拾おうとするが、感謝祭を目前にしたマンハッタンの街はラッシュアワーでタクシーを拾うのに苦労する。どうしても6時の飛行機に乗らないといけないニールはタクシー乗り場で順番待ちをする客に75ドルで順番を譲ってもらおうと買収を試みるが、隙を狙った巨漢の男にタクシーを横取りされる。奪ったのはシャワーカーテンリングのセールスマン デル(ジョン・キャンディ)であった。

デルにタクシーを横取りされ憤慨しながらもやっとの想いで空港に着いたニールは搭乗ゲートで飛行機を待つ。するとニールの目の前には先ほどタクシーを横取りしたデルが目の前にいる事に気付く。

ニールはデルに「タクシー泥棒」と抗議するが「どうりで簡単に拾えたと思った。盗む気はなかった。申し訳ない」と謝罪するがデルのその態度に誠意は感じられず、「もう済んだ事」と半ばあきれ顔。それよりも一刻も早く家路に着く事だけをニールは考えていた。

ところが天候によりシカゴ行きの飛行機の出発が遅れ、おまけに目的地のシカゴオヘア空港は雪で閉鎖されシカゴからは大分離れたカンザス州ウィチタで飛行機を降りる事に。同じ便に乗り合わせたデルも当然一緒で、そこから二人の災難続きの旅が始まる。列車、バス、レンタカーを乗り継ぐなど二人は行動を共にするが、潔癖症で堅物のニールは、やたらおしゃべりで、大雑把でデリカシーのないデルの事を心底好きになれず、もはや「腐れ縁」と諦め、仕方なく行き先を共にする。

しかしそんなニールも共に時間を共有していくうちに徐々にデルと心が通い合っていく。数日後、多事多難に遭いながらシカゴの自宅付近まで来たニールはデルと抱き合い、数日間世話になった事への感謝を告げ、ひとり電車に乗り家路と急ぐ。ニールは車中楽しかったデルとの思い出を回想していくが、今までのデルの数々の不可解な言動を思い起こすとある疑問が頭をよぎった。その疑問を確認するためにニールはデルと別れた駅に引き返す。するとそこには一人淋しく駅のベンチに座るデルの姿があった。  そしてニールはデルから衝撃の事実を告げられる。

大災難P.T.A.のレビュー・感想

映画にはあまり登場しないようなアメリカ東部のローカルな風景の描写が楽しめる

仕事先のニューヨークから家族の待つシカゴまで、様々な災難に遭いながら家路に向かうというロードムービー。アメリカ映画の風景にはよく燦々と陽が注ぐ西海岸のロサンゼルスあたりや、エネルギッシュな大都会ニューヨークなど、メジャーな都市が舞台となる事が多いのですが、この映画にはニューヨークはもちろん、普段アメリカ映画の風景にはあまり出てこないような東部のローカルな風景があちらこちらで登場するので、僕としてはとてもうれしいですね。

私事ですが1996年、生まれて初めて飛行機に乗り、成田を飛び立って初めて舞い降りた所がシカゴのオヘア空港だったんです。10月下旬であったために、雪こそ降ってはいませんでしたが極寒であった事は覚えています。寒さが半端ではなく、僕の住む関東圏では味わったことのない寒さでした。

話がそれましたが、そのオヘア空港がこの映画の冒頭、災難の発端となって登場しますので、当時アメリカから帰ったばかりの時期にその余韻に浸りたくて何度もこの映画を観て懐かしんだものです。

道中で出遭ったニールとデル、二人の人物のそれぞれの生き方

ニールとデルはある意味同じビジネスマン。しかしニールは帰りにファーストクラスの航空券を予約していたことから察すれば、そこそこのエリートなのでしょう。恐らく上場企業の部長か取締役クラスではないかと思います。

一方のデルは全米を飛び回りシャワーカーテンリングをセールスする口八丁の販売員という感じで、たぶん収入からすればニールの方が安定していて恵まれた環境下にいるのではと感じます。

そういった意味ではもし自分がどちらの立場で人生を送りたいかと問われれば迷わずニールの方と答えるでしょう。しかし、人生は仕事が全てではありません。特にこの作品を観ていると、二人は性格や物の考え方に対照的な違いがあって、どっちの人間になりたいか、どっちの人生が幸せと思うか、その答えを結論付けるのに少し考えさせられてしまうところがあります。

経済的にニールは恵まれているかもしれませんが、人にあまり隙を見せず、杓子定規で若干堅物なニールよりも、少々の事は気にせず、めげず、打たれ強く、しかも温厚で陽気なデルの方がある意味幸せなのかもしれません。

ぜひこの映画をご覧になる時そのあたりも勘えて観て頂くと面白いかも知れません。

そして何よりこの映画の観どころは、単なるクール男だと思っていたニールが家に帰りデルを「ぼくの大切な友達だ」と家族に紹介するシーンですね。結構涙出ますよ(笑)うれしくなります。。。。

またその時の家族の表情がすこぶるいい。雪降るシカゴは極寒ですが彼の帰りを待つ家族はとても暖かいんです。人の友情は何にも勝るという事を痛感させられる作品です。

パーフェクト ワールド

何気ない普段の生活や家族との触れ合いにもっと感謝をするべきと感じさせる映画

1993年製作 アメリカ 138分

監督

クリント・イーストウッド

キャスト

ケヴィン・コスナー クリント・イーストウッド T・J・ローサー ローラ・ダーン

撮影ロケーション・情景

60年代アメリカテキサス州テクサーカナ

パーフェクト ワールドのあらすじ

1960年代初期のアメリカテキサス州が舞台。車泥棒の罪で服役していたブッチ(ケヴィン・コスナー)は同刑務所に収監されていたテリーと一緒に脱獄を図り、途中押し入った民家のひとり息子フィリップ(T・J・ローサー)を人質にとり逃亡する。しかしブッチとテリーは性が合わず、ブッチは途中、フィリップに危害を与えようとしたテリーを銃殺してしまう。

自分を助け正義感溢れるブッチに対し、母子家庭で育ち、父親の存在を知らないフィリップは犯罪者であるブッチにどこか父親像を重ね合わせる事でブッチに親しみを感じ逃亡の手助けをする。

一方ブッチもフィリップと関わりを持つことで父親がいなかった自身の寂しさをフィリップの境遇と重ね合わせ心を開いていく。

そんなブッチは過去に一度だけ父親から絵葉書をもらった事がある。ブッチはそれを今でも大切に持っている。そこに書かれていたのはアラスカから届いた父からのメッセージだった。そしてブッチはフィリップを連れてアラスカを目指す事を決意する。

パーフェクト ワールドのレビュー・感想

父親を知らないフィリップに父親の代り役をしようとするブッチの優しさ

フィリップを人質にとり逃亡を図るブッチですが、自身の子供の頃の父への寂しさがフィリップの父親の存在を知らない境遇と重なり合って、今までフィリップがしたくてもできなかったあらゆる体験をブッチは父親の代り役をするかのようにフィリップに経験させ教訓や真の生き方を教示していくんですね。

ハロウインでの振る舞い方、感謝を持つ心、家族を守ることの重要性、あらゆることをブッチはフィリップに教え込んでいく。このあたりは犯罪者らしからぬ極々普通の優しい父親の顔が垣間見れます。もし、ブッチが犯罪者でなければフィリップの良き父になることが出来たかもしれない。いや、そうなって欲しい。そうすればフィリップは父親の強さと愛情を感じながら違った人生を歩む事も出来ただろうと思います。

僕たちは普段マンネリ化した生活に変化を求め、ついつい不満や愚痴を零してしまうもの。しかしこの映画を観るとそんな普段の何気ない生活や家族との触れ合いに、もっと感謝をするべきだし、それができる事を幸せに思わないといけないという事を痛感させられます。

みんな元気

「親と子」どちらの立場から見ても「家族の幸せは何か」を考えさせられる映画

2009年製作 アメリカ 95分

監督

カーク・ジョーンズ

キャスト

ロバート・デ・ニーロ ドリュー・バリモア ケイト・ベッキンセール サム・ロックウェル

撮影ロケーション・情景

アメリカ東部郊外 ニューヨーク・ソーホー コロラド州デンバー イリノイ州シカゴ ネバダ州ラスベガス

みんな元気のあらすじ

電線の部材となるポリ塩化ビニール製作工場で永年働き定年を迎えたフランク(ロバートデニーロ)は最愛の妻を亡くしおとこやもめの状態に。そんな中唯一の心の支えとなっているのは独立し散り散りに暮らす子供たちへの想い。

ある日、週末に帰省することになった子供たちを喜ばせるために、スーパーで上等の肉やワインなどの食料品を大量に買い込み、バーベキューグリルを組み立てるなどその準備に精を出すフランク。しかしニューヨークで画家を志す次男デイビットがメキシコで麻薬事件を引き起こしその対応に子供たちは追われ「仕事が忙しく急遽帰れなくなったと」フランクに嘘をつく。子供たちに会えないと分かりぽっかりと心に穴が空いたフランクは「ならばこちらから」と自分が子供たちに会いに行く事を決心する。

肺線維症を患っているフランクは飛行機に乗ることができず、鉄道、バスを乗り継いで子供たちの元へ。ニューヨークで画家をしている二男のデイビット、シカゴの広告代理店で働く長女のエイミー、オーケストラの楽団で活躍する長男ロバート、ラスベガスでダンサーとして活躍する次女ロージーのもとを次々と尋ねて行く。

みんな元気のレビュー・感想

ロードムービーならではの情景が楽しめる

舞台背景が一都市集中型でなくロードムービーのため、旅の途中アメリカの様々な風景を楽しむことができます。

アメリカの住宅事情

男やもめのフランクではありますが、かなり潔癖症で綺麗好き。アメリカ映画でよく出てくる一般住宅ですが、清掃が行き届いており、男やもめのいわゆる“不潔さ”はみじんもありません。優に100坪以上はあるであろう庭の芝生や植木の手入れも怠らず、これがアメリカの中流家庭の暮らしぶりなのかと感心させられます。

一方、長女のエイミーの住宅はおそらく数百平米はあろうかと思われるモダンな大邸宅。日本でいえば超売れっ子芸能人や一流企業の社長でもなき限り到底住めないであろう物件。もし自分の娘がこんな大豪邸に住んでいたら「お前こんな大豪邸建てて大丈夫か?」と心配するところではありますが、この辺りの身分不相応さを感じさせないところがいかにもアメリカらしいです。

「親の目」「子供の目」どちらの目線から見ても家族の幸せは何かという事を考えさせられる映画

親というものは誰しも子供の幸せを願うもの。こうなって欲しい・・・こうあって欲しいと願うものですが、必ずしも親の思うようにはならない。子供は子供で自分なりの生き方や世界観をもっているし、決して親の押し付けで人生を歩ませてはいけないと思います。

でも、親というのは子供がいくら成長しても、小さいころの面影が写りこんでしまうものなのでしょう。そんなさりげない親心の葛藤を地味な演技ではありますが見事に醸し出すあたりはさすがデニーロは上手いですね。

「親の目」そして「子供の目」、どちらの立場からみても家族の幸せは何かという事を考えさせられる映画です。

マディソン郡の橋

イーストウッド監督の感性と素晴らしい脚本が主人公の心の奥底をきめ細やかに描く

1995年製作 アメリカ 134分

監督

クリント・イーストウッド

キャスト

クリント・イーストウッド  メリル・ストリープ

撮影ロケーション・情景

1960年代アメリカアイオワ州マディソン郡  アイオワ州の片田舎

マディソン郡の橋のあらすじ

母フランチェスカ・ジョンソン(メリル・ストリープ)の死去に伴い、遺言信託の手続きをするために実家を訪れた長男のマイケル(ヴィクター・スレザック)と長女キャロリン(アニー・コーリー)はフランチェスカが「死後、遺体は火葬にし、遺灰をローズマン橋に撒いてほしい」と遺言を残している事を知る。そして遺品の中にあった母の日記とその母への想いを綴ったナショ・ジオ(ナショナルジオグラフィック)のカメラマン、ロバート(クリント・イーストウッド)の手紙をみつけ当時の二人の激しい恋を知る事に。

1965年、子牛の品評会に出かけた夫リチャードと子供たちは4日間家を留守にし、ジョンソン家はフランチェスカ一人に。そこへローズマン橋を撮影しに来たカメラマン、ロバートが道に迷い、ジョンソン家を通りがかった時に庭にいたフランチェスカに道を尋ねる。家事もひと段落し、暇を持て余していたフランチェスカは、口頭での道案内ではラチが開かないと判断し、ロバートの車の助手席に座り橋まで案内をする。

道中、フランチェスカに煙草をすすめたり、野の花をつんで手向けたりする優しいロバートの人柄にフランチェスカは好感を抱き夕食に招待する。そこでフランチェスカは、まじめではあるが何の変哲もない夫リチャードとは何か違うものを感じ始めていた。

マディソン郡の橋のレビュー・感想

監督クリント・イーストウッドの感性と視点

数十億ドルを使うような派手なセットはひとつもなく、製作費もわずか2,200万ドル、製作期間が42日間というタイトな状況下で作られた映画ではありますが、監督であるイーストウッドの感性と素晴らしい脚本が主人公の心の奥底をきめ細やかに描いています。

二人が過ごすことのできる最後の4日目の夜二人は結ばれますが、これまで過ごした二人の心の視点が鮮明に描かれているせいか、不思議と不貞さを感じません。

そして「一緒に町を出よう」というロバートの言葉にフランチェスカの心は葛藤しますが「今の気持ちは長続きしない」「夫を捨てたら夫はひとりでは生きてゆけない」「16歳の娘のこれからの人生に悪い影響を与えてしまう」という言葉で理性を保とうとします。

家族を捨てることができないと言い放ったフランチェスカに「これは生涯に一度の確かな愛だ」という言葉を残しロバートは去っていくのですが、終盤、夫リチャードと買い物に来たフランチェスカを、ロバートが雨に打たれながら立ち尽くすように見つめるシーンがあります。

それにはフランチェスカへの心のけじめをつけようとするロバートの切なさと、同様に揺れ動くフランチェスカのロバートへの想いがヒシヒシと伝わってきます。しかし、それが叶わぬ現実であるというフランチェスカの心の葛藤が、夫の運転する車のドアノブに手をかけ開けようとするも、躊躇してしまうというシーンに見事に表れています。

不倫に正当性を唱えるつもりはありませんが、たとえ不貞ではあっても誰かを真剣に愛したことのある人ならば、この4日間の時の流れの無常さに同情を感じる人もいるのではないでしょうか。

ショーシャンクの空に

誰も想像つかぬであろう綿密な脱獄計画

1994年製作 アメリカ 143分

監督

フランク・ダラボン

キャスト

ティム・ロビンス モーガン・フリーマン ウィリアム・サドラー ボブ・ガントン

撮影ロケーション・情景

1940~1960年代アメリカメイン州 バクストン (オレゴン州) オハイオ州立少年院(ショーシャンク刑務所全景)

ショーシャンクの空にのあらすじ

ティム・ロビンス演じる銀行の若き副頭取、アンディ・デュフレーンは、妻と間男を殺したという冤罪でショーシャンク刑務所に収監されてしまいます。そこで出会ったのが刑務所内での“調達係 ”のレッド(モーガン・フリーマン)。

アンディはレッドに鉱物採集の趣味を復活させたいと言い、ロックハンマーを調達してもらいます。しかし鉱物採集というのは詭弁で、無実の罪で投獄されたアンディはそのハンマーを使って脱獄を計る事を決意します。

ショーシャンクの空にのレビュー・感想

千里の道も一歩から

この映画の観どころは、何んといっても誰も想像がつかないであろう綿密な脱獄計画です。目標を決め、行動を積み重ね、少しずつではありますが成功に向かって突き進む様相はまさに男のロマンを感じます。それと同時に希望を持つことの大切さ尊さをこの映画は教えてくれます。(やることは非合法ですが)

日々わずかな進歩であっても、着実に努力を重ね、いつか必ず成し遂げてみせるという自信と強さがアンディの表情によく表れています。世の中には目標をもっているけれど中々結果が出ないと嘆く人、何らかの壁に立ち塞がれ行動を躊躇してしまっている人もいるかもしれません。そんな人にぜひ、観て頂きたい秀作です。

二人の男の友情

殺人(冤罪ではありますが)→ 刑務所 → 脱獄というシナリオなので冒頭から毛嫌いし観るのをやめてしまう人もいるかもしれませんが、最後にアンディとの約束をレッドが果たしに行くシーンは二人の固い友情と優しさに満ち溢れ、爽快な気分で観終えることができる映画です。

アメリカン・ラプソディ

親子の絆を再確認したくなったらぜひ観るべき映画

2001年製作 アメリカ 108分

監督

エヴァ・ガルドス

キャスト

ナスターシャ・キンスキー スカーレット・ヨハンソン トニー・ゴールドウィン エミー・ロッサム

撮影ロケーション・情景

1950年代冷戦下のブダペスト(ハンガリー)、アメリカ亡命、ハンガリー郡部、60~70年代ロサンゼルス、70年代ブダペスト(ハンガリー)

アメリカン・ラプソディのあらすじ

1950年共産独裁体制のハンガリーから逃れるためにアメリカに政治亡命したある一家の実話です。

この一家には生後間もない娘ジュジーがいるのですがアメリカへ渡るための手続きに手違いが生じ、ジュジーを一緒に亡命させることができず、一時的に里親に預けハンガリーに置いてアメリカへと向かいます。無事にアメリカへと亡命を果たした一家は自由を手に入れますが1人残したジュジーのことだけが気がかりでなりません。

結局一家はジュジーを渡米させることができないまま時が流れ、ジュジーが6歳になった頃、八方手を尽くしアメリカ赤十字社の力を借りてジュジーをハンガリーから呼び寄せることに成功します。しかしやっと再会した時には6年もの年月が経ってしまっていたためジュジーの気持ちは複雑です。

いつかは別れを告げなければならない事は解っていながらも、本当の娘のように6歳まで溺愛し育ててくれた優しい農夫婦をジュジーは真の両親と信じて疑わず、本当の両親に会えたのにもかかわらず「ハンガリーに帰りたい、パパとママに会いたい」と悩み続けます。

そんなジュジーに父は「お前が大きくなって、その時にまだ同じ気持ちでいるならハンガリーに帰ってもいい。ただそれまでは実母をママと呼んでほしい」と告げます。そしてジュジーが16歳になった時、それが現実となり故郷のハンガリーに里親と再会する旅に出るのです。

アメリカン・ラプソディのレビュー・感想

この映画を観終わって知ったのがこの作品の監督エヴァ・ガルドスという人がジュジー本人であるという事。幼少期のジュジーがたった一人飛行機に乗ってアメリカに旅立つ場面があるのですが、ジュジーにとって、どんなに不安で心細かった事か、これが自分の子供だったらと思うと涙が止まりません。

そんな辛い思い出が蘇るであろうに、実体験を映画にする事は心情的に簡単ではないはず。どんなに悲しい記憶でも仕事とはいえ目をそむけないで再現しなければならない中、いったいどんな想いでこのシーンを撮っていたのでしょう。最後のクレジットと一緒にに映し出されるジュジーと母親の再会を果たした時の実写真が一層涙を誘いますね。

赤ん坊を祖国に置き去りにしてしまった親と、本当の娘のように育てた親。どちらの立場に立たされたとしても双方の気持ちが痛いほど分かるいい映画です。親子の絆を再確認したくなったらぜひ観て欲しい作品のひとつです。